2017/06/11 17:03

茶房神田伯剌西爾(活版コースターをゲット)

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茶房神田伯剌西爾は、昭和47年(1972年)珈琲専門店として創業します。 昭和37年(1962年)~昭和38年(1963年)獅子文六さんの連載小説「コーヒーと恋愛」(連載時は「可否道」)が読売新聞に連載されました。おいしい珈琲を入れるテレビの人気女優坂井モエ子が珈琲が縁で若い劇団員と生活しますが、若い劇団員は突然若い女優と出ていってしまいます。モエ子は珈琲愛好家の友人に相談する、 珈琲通のお話です。 

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現在では、ラーメンを食べ歩き、ラーメンの薀蓄を語り、ジロリアンと言ってラーメン二郎を巡礼するラーメンマニアの人がいますが、 当時は、おいしい珈琲店を回って、難しい顔して珈琲を飲み、薀蓄を語る珈琲通と言われる人が、本好きのインテリに多くいました。 そこで、本の街神保町に通う珈琲通のインテリのために、茶房神田伯剌西爾は自家焙煎のおいしい珈琲を出すお店になります。 至極の珈琲を飲みに茶房神田伯剌西爾に行ってみました。 からりと晴れた土曜日、すずらん通りのまん中の道を靖国通りに向かって曲ると、小宮山書店さんが古本3冊500円のガレージセールをやっていました。 その小宮山書店さんの地下に茶房神田伯剌西爾があります。 階段を下りて、お店の中に入ると、障子の引き戸に囲炉裏があり、和を感じます。 低いカウターを右手に先に進み、奥の囲炉裏の席に座り、神田ブレンドとサンマルクのケーキセットを頼みました。 

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珈琲は、注文を受けてから豆が挽かれるので、おいしい珈琲が飲めますが時間がかかります。その間、小宮山書店さんで買った古本を読みました。 音楽の音はおとさえられていて、照明はそんなに暗くなく、本を読むのに丁度いいお店です。 暫くして、ウエーターの人が神田ブレンドとサンマルクを持ってきてくれました。 甘いサンマルクを食べた後に、飲む神田ブレンドは、さらに苦く感じます。 古本を読みながら、飲む苦い珈琲は格別おいしいです。 会計を済ませて、活版コースターを貰いました。

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ぶらじるの文字もひらがなで書かれてると、茶房神田伯剌西爾の和のイメージが感じられます。

 

島田 敏樹

2017/06/08 17:09

さぼうる(活版コースターをゲット)

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さぼうるは、昭和30年(1955年)に創業されました。 さぼうるが創業され、しばらくして60年代に入り、学生の街神保町は若い大学生で溢れてます。 そんな時代、大学の仲間とさぼうるを訪れました。 険しい山道を歩いた山登りの途中に たどり着いた山小屋のように 中に入るとホットして落ち着きます。 あまり甘くないいちごの生ジュースを飲みながら、店内を見回す

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と、夢を語り合っている同年代の若者でいっぱいでした。 居心地のいい空間で 時間はゆっくりと過ぎていきました。 時間がたつのを忘れてつい何時までもお店にいるようになります。 いつしかスペイン語の「味」の意味だった「さぼうる」の意味は授業を「さぼる」の意味だと言われるようになりました。 大學を卒業して、就職し、目まぐるしく時間がながれていきます。 人生がひと段落して、久しぶりにさぼうるを訪れます。

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昔と同じように、山小屋風の建物の入口にはトーテムポールが建っていました。 中に入ると昔と同じようにオーナーが迎えてくれます。 店内は一階、中二階、半地下がある席、 インドネシアの民芸品が飾ってあり、 煉瓦の壁は落書だらけ。 あの時と同じように若いウエイトレスさんが注文を聞きに来ました。 昔お姉さんだったウエイトレスさんが、自分より年下になっていました。 モーニングコーヒーとオープンサンドを注文しました。 オープンサンドは具がこぼれないように、はさむための薄くきられているパンがついています。 ピーナッツを食べながら、珈琲をゆっくりとのみました。 昔と同じように、時間がゆっくりと過ぎていきます。 火のついていない暖炉の上の古い柱時計は1時半を指したまま止まっていました。 会計を済ませて、外に出ると、

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入口の前にあるヒマラヤ杉だけは、天に届きそうな位伸びていました。 活版コースターは、さぼうるは在庫が少ないといわれたので、スタッフの私は遠慮して、貰いませんでした。 活版コースターをゲットの反響が意外と大きいのに、驚きました。

 

島田 敏樹

2017/06/03 17:17

神保町ラドリオ(活版コースターをゲット)

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ラドリオは昭和24年(1949年)古書店によって神保町の路地裏にシャンソン喫茶店として創立されました。 ラドリオ創立と入れ替わるように、ミロンガヌオーバの前身のランボオが昭和24年に閉店し、作家と編集者のたまり場は、ランボオからラドリオに移りました。 もっともランポオもミロンガとして、昭和28年(1953年)ラドリオの創立者の古書店によって再建されるのですが、 店内には、彫刻家本郷新さんのレジの前のマドンナ像やカップマッチコースターの牛のロゴ等が残されています。 ラドリオには、小説家ばかりでなく、芸術家も集まってきたのではないかと感じました。 6月の最初の日、朝降っていた強い雨は、昼に上がり、初夏の爽やかな晴れ間がみえてきました。

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 晴れ間の出ている間に、外に出ようと、昼休みラドリオに 行ってみました。 三省堂書店の裏口に出て、神田すずらん通りの裏通りの細い路地を通ると、前回行ったミロンガヌオーバの先に神保町ラドリオがみえてきます。 行って見ると、煉瓦の壁に木の扉。木の扉から中に入ると、レンガの床と壁、カウターの中で、ウエイトレスさんが並んで料理を作っていました。 たまにラドリオには行ったことがないという人を連れて行くのですが、このお店のレトロな雰囲気とシャンソンにえらく感動します。 入口付近にあったラドリオかわら版を取って奥の席に座りました。 ランチタイムは、ナポリタンとカレーライスのランチセットがあります。カレーライスのランチセットをたのみました。ランチセットには、野菜スープとサラダと飲み物がついています。 料理がくるまで、ラドリオかわら版を読みました。

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ラドリオかわら版は毎月1日に発行され、全部手書きのきれいな字で書かれています。 裏にモノクロ町画集「神保町」を描いた得地直美さんの絵が描かれていました。 暫くして、ウエイトレスさんがサラダとスープ、そしてカレーライスを持ってきてくれました。 カレーはあまり辛くありませんが、辛いのはあまり得意でない私にはあいます。 飲みものは、ウインナーコーヒーを頼みました。

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ウインナーコーヒーはラドリオが発祥だそうです。 少し前のラドリオかわら版に、ウインナーコーヒーの飲み方が書かれていました。 かきまぜずにそのまま飲み、口の中で、あたたかい珈琲と冷たいクリームの出会いを楽しむそうです。 まぜずにいきなり飲もうとしたら、ホイップクリームか山もりで、鼻にクリームがつきそうになりました。クリームだけを何回かすくって食べてから飲みました。 会計を終わり、活版コースターを貰いました。

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彫刻家本郷新さんのラドリオの牛のロゴがコースターに刻まれていました。

 

島田 敏樹

 

2017/05/28 09:32

第31回神田すずらんまつり

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5月27日(土)に、第31回のすずらんまつりが、神田すずらん通りで開催されました。 神田すずらんまつりの第1会場は、和太鼓、スクエアダンス、吹奏楽コンサート、指笛コンサート、ライブパフォーマンス、デキシーランドジャズなど、音楽やダンスを中心に行います。 第2会場は、音福さんの津軽三味線、こども向けおはなし会、古書店のユルキャラ、コショタンとの記念撮影を行っていました。 前回は、第2会場が中心だったので、今回は第1会場中心に見て回りました。 11時になり、第1会場で、神田すずらん通りの理事の方のお話しで開会しました。 開会の御言葉が終わると、御茶ノ水小学校の和太鼓が始まります。

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御茶ノ水小学校の小学生の演奏する太鼓のうち、御茶ノ水太鼓は小学校で代々受継がれていったものと小学生が語っていました。伝統の太鼓の力強い音が聞こえてきました。 和太鼓の後、スクエアダンスが始まります。ユアマイサンシャインの音楽に合わせて、華やかな衣装を着た男女が4名1組となってフォークダンスのようなダンスを踊っていました。 スクエアダンスを見ていたら、おさんぽ神保町のカメラマンの方が来年の春のすずらんまつりに乗せる写真を熱心に撮っていました。

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昼に時間が空いたので、昼ご飯を食べに行きました。すずらん通りにワゴンが並んでいて露店が出ています。露店は、神保町界隈の名店が出店していました。 学士会館さんが肉サンドやメンチカツ、三幸園さんがハラミ肉の串刺し、肉まん、小林のおにぎりさんがおにぎり、ティーハウスタカノさんが紅茶にスコーン、SANGAMさんがインドカレー、豆香房さんが珈琲などが出店していました。 エスぺリアでロゼを買い、学士会館のビーフサンドとを三幸園でハラミ牛の串刺しを買って食べました。 エスぺリアの甘くないロゼが、牛肉に合いました。

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暑かったので、のどが渇きタカノさんで、アイスティを買って飲みました。 露店は、飲食の他、囲碁、水彩画、似顔絵等のイベントや三省堂書店さんは、文房具でくまもんのグッズや、東京堂書店さんが本、ボヘミアギルドさんが古書や夏目書房のティシャツ、などが売っていました。 すずらん通りの真中に白バイが止まっていて、子供が乗って写真を撮っていました. 午後から、指笛の演奏会があります。鯉のぼりやみかんの花咲く丘など、5月の初夏の晴れたすずらん通りにすがすがしいメロディーが流れます。 

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明大生のバケツを使ったライブパフォーマンスが終わり、デキシーランドジャズのジャズの聖者の行進が聞こえてきました。 5時になり、すずらん通りのお祭りが終わりました。

商店会の皆様、神保町応援隊のボランティの皆様、ありがとうございました。

 

島田 敏樹

2017/05/28 09:28

ミロンガヌオーバ(活版コースターをゲット)

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ミロンガヌオーバの前身のランボオは終戦(昭和20年)後間がない1947年(昭和22年)に、創業されます。 当時飲みに行くといえば、闇市の中の飲み屋で、焼酎やバクダンをあおるくらいでした。 そんな中で、ランボオは出版社によって創業され、小説家や芸術家のたまり場になります。 ドアを開けて、お店の中に入ると、野間宏。椎名麒三、梅﨑春生、植名雄高、武田泰淳といった作家の人たちがいました。戦後派(戦後新人としてデビューした作家)と呼ばれた作家の人たちです。 ランボウを訪れた学生時代の遠藤周作はそんな芸術家の集まる雰囲気に感激感動し、毎日通うようになりました。 ある日、作家の梅﨑春生に話しかけると、占い師のところに連れて行かれ、占い師に怠け者で作家にはなれないと占われます。 このことは、遠藤周作が「ぐうたら交遊録」に書いていました。

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遠藤周作は、その後フランスに留学し、第3の新人として1955年(昭和30年)「白い人」で作家デビューします。 そのときはランボオはすでになく、タンゴの音楽の流れるミロンガヌオーバが開業していました。 神田すずらんまつりの翌日の日曜日ミロンガヌオーバに行ってみました。 祭りが終わり、神田すずらん通りは静けさを取り戻していました。

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そんな神田すずらん通りの富山房の裏の通りにミロンガヌオーバがあります。 お店に着くと煉瓦造りのレトロなお店でした。 狭い入口を入ると中は広くアルゼンチンタンゴの音楽が流れるエキゾチックな雰囲気です。 店内には、バンドネオンが飾ってあり、レジの後ろには古いレコードと蓄音機が置いてありました。 お店は混んでいて、奥の部屋に通されました。

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窓側の席に座りました。ウエイトレスさんがメニューを持って来てくれたので、ピザ・ミロンガとミロンガブレンドを頼みました。 暫くしてピザ・ミロンガを持ってきてくれました。 ピザは、サラミと卵が乗っている手づくのプレーンピザで、生地はパリパリというよりも、ふわふわした感じです。 ピザを食べ終わり、珈琲を持ってきてくれました。珈琲は炭火焙煎で、その場で豆を挽いて、創ってくれるので、時間がかかりますが、かなり美味しいです。

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会計を済ませて、活版コースターを貰いました。ミロンガヌオーバの下の文字が、アルゼンチンタンゴのメロディのように右上がりに刻まれていました。

 

島田 敏樹