2018/03/04 18:45

『おさんぽ神保町』編集長と古書店街ぐるっと巡ろう

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おさんぽ神保町の編集長が、ほぼ毎週土曜日に行っている神保町街歩きに参加しました。 朝11時に神保町駅A9の出口 で待ち合わせをして出発しました。 まず、学士会館に行きました。 茶色のスクラッチタイルに覆われたモダンでクラシックな建物。

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関東大震災後の昭和3年(1928年)建てられた耐震耐火の鉄筋鉄骨コンクリートの建物です。 それから、白山通りを渡り、さくら通りの山形屋紙店に行きました。 明治12年の創業し、店の裏側には、大正元年に造られ、関東大震災や東京大空襲にも耐え抜いた立派な倉があります。

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再び、白山通りを渡り、すずらん通りに入りました。 池波正太郎が上海焼きそばと食べたという揚子江菜館、 その先の小諸そばに入っているビルは震災復興建築です。 その向かい側には、すずらん通りに移った本と街の案内所でした。

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本と街の案内所は、膨大の本の在庫を抱える本の街神保町の在庫を本を求めて神保町に訪れる人に図書館のようにどこの書店にあるか検索してもらえる場所です。 新しい本と街の案内所は、さらに神保町の名所についても検索し、オリジナルの地図とその解説をプリントアウトできるようになっていました。 

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本と街の案内所を出て、先を進むと江戸川乱歩が穴子天丼を食べたはちまきさんがあります。 先に進むと、文房堂のアンティークな建物があり、駿河台下のすずらん通りの入り口から、靖国通りに出ました。 すずらん通りは、まだまだ古い建物が残っているとはいえ、ここ数年でずいぶん変わってしまったなと思います。 靖国通りに行ってしばらく行くと、浮世絵の看板が見えました。

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和本の大屋書房がありました。 それから、靖国通りを間直ぐに行き、京都便利堂、神田古書センター、ブッケン・ロック・サイド、矢口書店をえて、ブックハウスカフェに行きます。 神保町に唯一のこどもの本の新刊本の専門店ブックハウス神保町がありました。 昨年2月に惜しまれつつ閉店してしまいます。 ブックハウスカフェの店長さんは、神保町にこどもの本の専門店を残したいという強い思いで、ブックカフェとして,こどもの本専門店を再スターとしたと語っていました。

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島田 敏樹

2018/02/12 18:52

新島襄生誕之地碑前祭

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2月12日(日)新島襄の誕生日です。神田錦町3丁目に生まれ、後に同志社大学を創立しました。 神田錦町3丁目にある学士会館の前には碑があり、同志社大学は毎年新島襄の誕生日の2月12日に学士会館の碑の前で碑前祭を行っています。 今年も、学士会館の碑の前で、碑前祭を行っていました。 

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今年のNHKの大河ドラマは「西郷どん」ですが、新島襄は、数年前NHK大河ドラマの「八重の桜」の新島八重の夫です 明治維新後、日本は、開国により、儒教に基づくアジア文化を脱して、個人主義の西洋文明を受け入れていきます。 そんな日本について、新渡戸稲造は米国で問われました。 「西洋には、キリスト教があるが、日本にそれに相当する道徳があるのか。」と それに対して、新渡戸稲造は英文で「武士道」を書きます。 「日本の象徴である桜の花と同じように日本の土に根差した武士道という花がある。それを育てた社会は消滅した。しかし、かつて存在した遠い星々が今も我々を照らし続けているように封建制の子として生まれた武士道は、その母なる社会が死した後も生き残って、今なお我々に道徳の道を照らしている。」 それは、各国に翻訳され、多くの海外の人に読まれました。 10時45分になり、新島襄の碑前祭が始まりました。

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まず、讃美歌を歌います。 同志社大学はキリスト教精神でできた大学です。 米国に留学した新島襄も、西洋化に進んで行く日本に、道徳教育の必要性を感じ、キリスト教主義の学校同志社大学の前身同志社英大学を創立しました。 碑前祭で碑の前で、同志社大学の学長がお話しになられていました。

建学の精神の「良心」教育を受け継いでいきますと

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島崎 敏樹

2018/02/04 18:57

「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」松岡圭祐著

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先日は、4年ぶりの大雪が降り、神保町もすっかり雪化粧でした。早めに出たのにかかわらず、電車は遅れ駅のホームはすごい行列で、何時電車に乗れるかわからないくらいです。 周りに周囲に迷惑にならないように、神保町の三省堂書店で買った松岡圭祐さんの著書「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」を読みました。 松岡圭祐さんは、綾瀬はるかさんが主演で映画化された「万能鑑定士Q」シリーズや北川景子さん主演でテレビドラマ化された「探偵の探偵」の著者です。 「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」の物語は「最後の事件」で、モリアーティ教授とライヘンバッハの滝に落ち、「空き家事件」で復帰するまでの3年間、シャーロック・ホームズは日本に来て、伊藤博文と大津事件の謎を解決するというお話しです。

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幕末、22歳の伊藤博文は留学のためロンドンに密航していました。 ロンドンの街を歩いていると10歳のシャーロック・ホームズが露天商に絡まれているのを助けます。 そのとき、攘夷を決行するため長州藩が米仏蘭艦隊に砲撃を始めたというニュースを井上馨から伝えられました。西洋の進んだ文明を知った伊藤博文は負ける戦争をやめるように説得するため日本に戻ります。 数年後、明治維新となり、江戸幕府を倒した長州藩の伊藤博文は新政府の要職に着きました。

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薩摩藩長州藩中心の新政府に対して、国会の開設を要求する自由民権運動がおこります。 新政府は国会開設を約束し、国会開設の前提となる憲法調査のため伊藤博文は西洋に派遣されました。 物語では、西洋に派遣された伊藤博文は、ロンドンにも行き、シャーロック・ホームズの事務所を訪れます。大人になったシャーロック・ホームズは伊藤博文が若いころ攘夷を決行して英国公使館焼打ち事件にかかわりあったことを知り、冷たく追い払います。 帰国した伊藤博文は、明治22年(1889年)憲法を制定し、国会を開設しました。

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明治24年(1991年)訪日していたロシア皇太子を警護していた巡査が切りつけ負傷を負わせる事件が起こりました。(大津事件) 政府は、ロシア政府を配慮して、犯人の巡査を死刑にするよう裁判所に圧力をかけますが、大審院長児島惟謙はこれに屈せず、司法権の独立を護り、無期懲役の判決を下しました。 皇太子を負傷させられたロシア政府は一端寛大な態度を見せ治まるかと思われましたが、態度を覆します。 その頃、モリアーティ教授とラインバッハの滝から落ちたシャーロック・ホームズは、生き残り、モリアーティ教授の残党から逃れるため、死を偽装し、兄のマイクラフトの手配により、日本にやってきました。 ロシア政府が態度を覆したのはなぜか。 シャーロック・ホームズは、伊藤博文と謎に挑みます。

「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」松岡圭祐著 講談社

神保町書店にて、販売中です。

 

島田 敏樹

2018/01/13 19:01

神保町テイクアウトで新年会

遅く成りましたが、新年明けましておめでとうございます。

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昨年中は、いろいろとお世話になりました。 今年もおさんぽ神保町を宜しくお願いします。 今年最初のおさんぽ神保町の行事は、新年会、 神保町のテイクアウトができるお店のものを持ち寄って、神保町の編集長の家で行いました。 

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持ってきたテイクアウトのお店の料理は

まずは、 うつし世は、夢 よるの夢こそ まこと―乱歩 江戸川乱歩が、来店した神田すずらん通りのお店、天婦羅はちまきの天婦羅

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次に、 具をすべて包まない変わった形の餃子 1936年(昭和11年)創業、 神保町のすずらん通りで、いつも行列ができている 餃子専門店、 スヰートポーヅの餃子、 さらに、 神保町ブックフェスティバルの後でボランティアの大学生の人たちと飲みに行った

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すずらん通りのやきとり道場のやきとり 白山通り沿いの南インド料理 シリバラジ水道橋店のタンドリーチキン、ジジケバブ、カリフラワーのカレー 白山通りの もり一神保町店のお寿司 神保町には、美味しいテイクアウトのできるお店がいっぱいありました。

 

島崎 敏樹

2017/12/24 19:06

揚子江菜館―囲む会

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先日のおさんぽ神保町の忘年会で、出席していなかった人がいました。 フリーペーパーおさんぽ神保町で「神保町古書店主食べある記」のまんがを担当している漫画家の先生です。 先生は、日本のまんがを教えにフランスに行っていて、忘年会には参加できませんでした。 正月を日本で過ごすため帰国されたので、漫画家の先生を囲む会を先生の漫画家仲間と一緒に神田すずらん通りの揚子江菜館で行います。 揚子江菜館について、中に入り2階の囲む会の会場に行きましたが、誰も来ていませんでした。

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バルコニーに出て、すずらん通りを眺めます。 先生とは、おさんぽ神保町19号の神保町のチャイナタウン特集で、漢陽楼で飲みに行ったときは、御一緒しました。 数年後、先生が神保町を離れるといわれて、行われた神保町和亭なにわの送別会でお話しをするようになります。 おさんぽ神保町の24号では「古書店主のたべある記」で、揚子江菜館に一緒に行きました。 

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「池波正太郎の銀座日記(全)」で池波正太郎さんが、神保町の床屋の帰りに揚子江菜館に行き、上海焼きそばとビールを飲んで、焼売をお土産に買って帰ったという記述があります。 揚子江菜館の上海やきそばとビールが合うか食べに行くことにし、夏の暑い日に行き、昼間からビールを飲んでしまいました。 上海焼きそばは、冷たいビールに合い大変おいしいかったです。

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そうこうしているうちに、漫画家の先生の知り合いの方が次々入ってきたので、バルーコ二―から部屋に入り、お話しを始めました。 暫くして、エレベーターに乗って先生と編集長が降りて来たので、 回転する丸テーブルに座り、まずはビールを頼み、前回頼んだ上海焼きそば、焼売の他、 揚子江菜館が元祖といわれる冷やし中華、 周恩来が好んでいた獅子頭(大きな肉団子)にカレーをかけた獅子頭カレーを頼みました。

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料理のひとつひとつが、印象に残り、一度食べても、もう一度食べてみたいと思うものばかりです。 宴会が、終わり会計を済ませて、外に出て、駅に向かいました。

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歳の瀬の白山通りは、クリスマスのイルミネーションできらきらしていました。

 

島田 敏樹