2017/08/09 16:43

中央大学駿河台記念館

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神田駿河台に中央大学駿河台記念館という建物があります。 八王子に移転する前の中央大学の跡地の1部に昭和63年に創立100周年を記念して建てられました。 その1階には、第一ホテルが経営している、ランチバイキングのレストランプリオールと喫茶ポンヌフがあります。だれでも入れるらしいので、昼食を食べに行きました。 駿河台下から明大通りを御茶ノ水駅の方に行くと、明治大学があります。 明治維新後新政府は、西洋のどの国を模範にして近代国家をつくるか試行錯誤していました。

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明治4年江藤新平は司法省を創設し、フランスを模範にした民法典を編纂しようとします。 その後、司法省は、仏国から招いたボアソナードに民法典を編纂させるとともに、司法省法学校は創設しフランス法を教えさせます。 明治大学はフランス法を学んだ司法省法学校の1期生によって創立されました。 明大通りをさらに行くと、法政大学発祥の地の碑があります。 法政大学も、フランスから招いたボアソナードを教頭に迎えフランス法中心の大学として創立されました。

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法政大学の碑の前の小桜通りを曲り、池田坂に出てきニコライ堂の手前に駿河台記念館があります。 中央大学駿河台記念館に着き、喫茶ポンヌフに入ることにしました。 中央大学の前身の英吉利法律学校が創立されたのは神田錦町です。 司法省法学校と併合される前の旧東京大学は英国法が教授され、その卒業生中心に英国法を教授する英吉利法律学校を創立したのです。 これに対して、明治14年の政変を契機に政府はドイツ法を模範とすることを決め、法制度が整備していきます。 各大学も整備された日本の法制度を教育する大学になって行きます。 英吉利法律学校は東京法学院、中央大学と名前を変えながら、関東大震災後の大正15年(1926年)に駿河台校舎に移り、神田錦町には東京電機大学が建てられました。

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喫茶店ポンヌの中に入り窓際のカウンター席に座り、ビーフカレーを注文しました。 暫くして、サラダとビーフカレーを持ってきてくれました。カレーはやや辛く、ビーフは柔らかく煮込んでありました。 明治大学、法政大学、中央大学、東京電機大学ができ、神保町は学生の街になっていきます。 カレーを食べ終わると珈琲を持ってきてくれました。珈琲を飲んで会計を済ませて帰りました。

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昭和55年3月中央大学は、神保町を去り、八王子に完全に移転します。 中央大学の後に神田錦町に建てられた東京電機大学も平成24年(2012年)足立区に移転し、その跡地にはオフィスビルが建てられるそうです。

 

島田 敏樹

2017/07/17 16:52

活版TOKYO2017

活版TOKYO2017が、神保町三井ビルディングとテラススクエアぢで、7月14日、15日、16日におこなわれました。

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中に入ると、 若い女性が中心にすごい人でした。活版印刷に、これだけ多くの人が関心をもっているのかと思いました。

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活版印刷体験、活版マーケット、カッパンパーラー、ワークショップ等をやっていました。 さすがに、活字をすべて持ってきて、活字をひろうところからのワークショップはやっていませんでしたが、樹脂版の版型を使った活版印刷体験をしていました。

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活版マーケットは、活版印刷で作った文具などが売っていましたが、活版印刷の活字も売っていました。自分の名前の活字を探してみました。 3時から、テラススクエア2階で、まんまる〇さんのトークショウがあるので、いってみました。テラスハウスの2階は、ワークショップをやっていました。その奥にぎっしりと人が埋まっていました。

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島田 敏樹

2017/07/13 16:58

ティーハウスタカノ(活版コースターをゲット)

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ティーハウスタカノさんは、昭和49年(1974年)に創業した紅茶専門店です。 中国の緑茶がヨーロッパに伝わり、西洋の食文化と会うようにお茶の葉を完全に発酵させる紅茶になりました。 紅茶は、英国の植民地だったインドで栽培するようになり、英国で広く飲まれるようになります。 緑茶を飲んでいた日本にも、明治維新後紅茶が伝わり、明治42年(1902年)に朝日新聞に連載された夏目漱石の「それから」で主人公の代助は毎朝紅茶を飲んでいたと書かれていました。 戦後、紅茶は60年代ティバック紅茶、70年代缶紅茶、80年代ペットボトルの紅茶が販売されるようになり、手軽に紅茶が飲めるようになります。 そんな中でも、ティーハウスタカノさんは、本物のおいしい紅茶を提供するため、神保町で創業しました。 おいしい紅茶を飲みにティーハウスタカノさんに行ってみました。

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神田すずらん通りに出ると青空が広がり30度を超えるすごい暑さ、少し歩いただけで汗ばんできます。 神田すずらん通りの真中にTAKANOと書かれた看板がありました。 その看板の右の階段を降りて、扉を開けて中に入ると、砂漠の中のオアシスのように明るく涼しい店内です。 席に着き、メニューを見ると、紅茶専門店なのでセイロン茶、アッサムティ、ダージリン、中国茶、アイスティ等いろんな種類の紅茶が書かれていました。 アッサムティとスコーンを注文しました。 アッサムティは濃厚でミルクを加えても風味が落ちないので、ミルクティに適しています。

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暫くして、アッサムティの入ったティーポットとミルクピッチャ、ティーカップとティーソーサーを持ってきてくれました。 ティーポットは球形をしていました。 球形なのは、紅茶を入れるときに、茶葉が対流して美味しく入れることができます。 ミルクをたっぷり使えるようにミルクピッチャは大きめで、中のミルクは牛乳でした。 コーヒークリーム等では紅茶の風味を損なうことになるので、ミルクティのミルクは牛乳です。 ティーカップは口が広がっていました。口が広がっているティーカップは紅茶の香りが広がります。

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ティーポットから紅茶を注ぐ際には、茶葉がカップに入らないように目の細かいティーストレーナーもついていました。 ティ―ハウスタカノさんの美味しい紅茶のための1つ1つにこだわりが感じられます。 ティーポットから、カップに紅茶を注ぎました。 カップに紅茶を注ぐとき、紅茶を注いでからミルクを入れるか、ミルクを入れてから紅茶を入れるか英国で大論争になったそうですが、私はミルクを入れてから紅茶を注ぎます。 注いだ紅茶を、スコーンを食べながら飲みました。

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香り豊かなおいしい紅茶です。 会計を済ませて、活版コースターを貰って帰りました。 活版コースターは会計の祭、一言お声をかけて頂ければ、お渡ししてもらえるそうです。

 

島田 敏樹

2017/06/11 17:03

茶房神田伯剌西爾(活版コースターをゲット)

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茶房神田伯剌西爾は、昭和47年(1972年)珈琲専門店として創業します。 昭和37年(1962年)~昭和38年(1963年)獅子文六さんの連載小説「コーヒーと恋愛」(連載時は「可否道」)が読売新聞に連載されました。おいしい珈琲を入れるテレビの人気女優坂井モエ子が珈琲が縁で若い劇団員と生活しますが、若い劇団員は突然若い女優と出ていってしまいます。モエ子は珈琲愛好家の友人に相談する、 珈琲通のお話です。 

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現在では、ラーメンを食べ歩き、ラーメンの薀蓄を語り、ジロリアンと言ってラーメン二郎を巡礼するラーメンマニアの人がいますが、 当時は、おいしい珈琲店を回って、難しい顔して珈琲を飲み、薀蓄を語る珈琲通と言われる人が、本好きのインテリに多くいました。 そこで、本の街神保町に通う珈琲通のインテリのために、茶房神田伯剌西爾は自家焙煎のおいしい珈琲を出すお店になります。 至極の珈琲を飲みに茶房神田伯剌西爾に行ってみました。 からりと晴れた土曜日、すずらん通りのまん中の道を靖国通りに向かって曲ると、小宮山書店さんが古本3冊500円のガレージセールをやっていました。 その小宮山書店さんの地下に茶房神田伯剌西爾があります。 階段を下りて、お店の中に入ると、障子の引き戸に囲炉裏があり、和を感じます。 低いカウターを右手に先に進み、奥の囲炉裏の席に座り、神田ブレンドとサンマルクのケーキセットを頼みました。 

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珈琲は、注文を受けてから豆が挽かれるので、おいしい珈琲が飲めますが時間がかかります。その間、小宮山書店さんで買った古本を読みました。 音楽の音はおとさえられていて、照明はそんなに暗くなく、本を読むのに丁度いいお店です。 暫くして、ウエーターの人が神田ブレンドとサンマルクを持ってきてくれました。 甘いサンマルクを食べた後に、飲む神田ブレンドは、さらに苦く感じます。 古本を読みながら、飲む苦い珈琲は格別おいしいです。 会計を済ませて、活版コースターを貰いました。

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ぶらじるの文字もひらがなで書かれてると、茶房神田伯剌西爾の和のイメージが感じられます。

 

島田 敏樹

2017/06/08 17:09

さぼうる(活版コースターをゲット)

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さぼうるは、昭和30年(1955年)に創業されました。 さぼうるが創業され、しばらくして60年代に入り、学生の街神保町は若い大学生で溢れてます。 そんな時代、大学の仲間とさぼうるを訪れました。 険しい山道を歩いた山登りの途中に たどり着いた山小屋のように 中に入るとホットして落ち着きます。 あまり甘くないいちごの生ジュースを飲みながら、店内を見回す

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と、夢を語り合っている同年代の若者でいっぱいでした。 居心地のいい空間で 時間はゆっくりと過ぎていきました。 時間がたつのを忘れてつい何時までもお店にいるようになります。 いつしかスペイン語の「味」の意味だった「さぼうる」の意味は授業を「さぼる」の意味だと言われるようになりました。 大學を卒業して、就職し、目まぐるしく時間がながれていきます。 人生がひと段落して、久しぶりにさぼうるを訪れます。

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昔と同じように、山小屋風の建物の入口にはトーテムポールが建っていました。 中に入ると昔と同じようにオーナーが迎えてくれます。 店内は一階、中二階、半地下がある席、 インドネシアの民芸品が飾ってあり、 煉瓦の壁は落書だらけ。 あの時と同じように若いウエイトレスさんが注文を聞きに来ました。 昔お姉さんだったウエイトレスさんが、自分より年下になっていました。 モーニングコーヒーとオープンサンドを注文しました。 オープンサンドは具がこぼれないように、はさむための薄くきられているパンがついています。 ピーナッツを食べながら、珈琲をゆっくりとのみました。 昔と同じように、時間がゆっくりと過ぎていきます。 火のついていない暖炉の上の古い柱時計は1時半を指したまま止まっていました。 会計を済ませて、外に出ると、

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入口の前にあるヒマラヤ杉だけは、天に届きそうな位伸びていました。 活版コースターは、さぼうるは在庫が少ないといわれたので、スタッフの私は遠慮して、貰いませんでした。 活版コースターをゲットの反響が意外と大きいのに、驚きました。

 

島田 敏樹