2017/05/20 09:42
文房堂ギャラリーカフェ(活版コースターをゲット)
おさんぽ神保町23号に、ご協力頂いている喫茶店へ行って、飲食を注文すれば、活版コースターをゲットできる、おさんぽ神保町と活版TOKYOとのコラボ企画がありました。 ご協力して頂いているお店を見ると、テレビ雑誌でお馴染みのお店です。 どういう順番で行こうか迷うところですが、創業順に行ってみることにしました。 創業したのが一番古いのは文房堂さんです。明治20年、画材のお店として創業し、明治39年に神保町に移転しました。 もっとも文房堂さんの3階にギャラリーカフェができたのは新しく、オープンしたのは2016年8月です。 そこで、最初は、文房堂さんの中にあるギャラリーカフェに行ってみることにしました。
神田すずらん通りの文房堂さんに着くと建物はクラッシクな茶色の建物です。 大正11年(1922年)に現在のビルが建てられました。 大正12年の関東大震災で、正面外装部分のみ焼失を免れ、記念に保存し内部を建替えて現在に至ります。 震災後の直後の神保町の写真を見ると、建物がすべて倒壊する中、文房堂さんの建物だけが建っていました。 それから、震災復興して、時が流れて街がどんどん変化していく中、94年たった現在でも同じ姿で神田すずらん通りで存在感のある建物として建っています文房堂さんの中に入りました。
文房堂さんの5階7階はアートスクール教室も開講していますが、1階の入り口付近には雑貨、奥には画材を売っていましす。 文房堂さんの原稿用紙は有島武郎、中原中也、横溝正史等の作家に愛用されていました。その原稿用紙が現在復刻版として売られています。 また画材については、梅原龍三郎、藤田嗣治、東山魁夷などの画家に愛用されていました。 浮世絵や写真等の絵葉書が並んでいる階段を上っていき、3階に行きギャラリーカフェの扉を開くと店内は広く雰囲気のいいお店です。 窓際の席に座り、窓の外を見ると、神田祭りが終わり、次のお祭りの神田すずらん祭りの準備をしている神田すずらん通りの風景が見えました。
店員さんが注文を聞きにきたので、看板メニューの文房堂ドックのセットを頼みました。セットは、コーヒ―又は紅茶と野菜スープがついていて、ホットドックのお皿のわきにはサラダが載っていました。軽く昼食を済ませられます。ホットドックに挟まっているウィンナ―はパリッとした歯ごたえがあり、パンにあいました。食後に淹れたてのおいしい珈琲を飲んで、会計を済ませて、コースターを貰いました。
活版印刷で文房堂さんのロゴと文字が紙に刻まれているコースターをみて、本の街で活版印刷が盛大だった時代も、神保町の神田すずらん通りで文房堂さんの建物も佇んでいたんだなと感じました。
島田 敏樹
2017/05/13 20:53
活版印刷三日月堂 ほしおさなえ著
活版印刷所を舞台とした物語です。 神保町は本と出版社と、それに付随する印刷所の街でした。そこで、活版印刷三日月堂を読んでみました。 活版印刷は、明治維新後開国によって、入ってきた欧米の文物を多量に出版するため、盛大に行われてましたが、デジタル化の時代を向かえ、時代遅れになり減っていきました。 近年、文字に味わいのある活版印刷が見直され、名刺や栞、コースター等を活版で印刷する人が、しだいに増えてきています。
トッパン印刷の印刷博物館で、活版印刷のワークショップをやっていました。 そこで、行われていた栞を活版印刷で印刷するワークショップに参加したことがあります。 ワークショップの部屋の中に入ると、一面活字の壁でした。 そこから活字を拾って行きます。 活字は文字が細かく探すのになかなか時間がかかりました。 職人さんは文字で探すのでなく、場所を覚えていて活字を拾っていくそうです。
拾った活字で文字を組んでいきました。 文字を組むのに、文字をさかさまに組んで、微調整をし、綺麗に並べて固定します。 丸い円の印刷機に固定した活字を乗せて印刷しました。 活版印刷で印刷された栞の文字を見ると、活字が紙に刻まれて、綺麗に印刷されていました。 活版印刷も、名刺や、座右の銘、創業者の精神、俳句等心に刻んでおきたい言葉を印刷すると言葉に重みを増してくるような気がします。 「活版印刷三日月堂」の物語は 祖父がやっていた活版印刷を再開した弓子。 言葉の暖かさ伝えるため、消えていく言葉を刻むため、活版印刷所に人々はやってきます。 叔父が長年かけて作り上げた喫茶店「桐一葉」おいしい珈琲に落ち着いたレトロな雰囲気のお店。
叔父が亡くなり、叔父の喫茶店の後を継いだ僕は 所詮「叔父の代わりに過ぎないのではないか」と悩みます。 「だれも、だれかの代わりなどなれませんよ。」弓子に言われ、 活版印刷で、叔父の好きだった俳句を刻んだコースターを創ることを思いつきます。
「桐一葉日当たりながら落ちにけり」 高浜虚子
「活版印刷三日月堂」星たちの栞 ほしおさなえ ポプラ文庫 神保町書店にて販売中
おさんぽ神保町と活版TOKYOのコラボ企画 神保町喫茶さんぽで活版コースターをゲット!
島田 敏樹
2017/05/06 21:03
こどもの本専門店ブックハウスカフェ
5月5日にオープンしたこどもの本専門店ブックハウスカフェに行ってみました。 こどもの本専門店ブックハウスカフェはその名の通り、絵本などの児童書専門の書店です。 神保町唯一の新刊の児童書専門の書店は、以前ブックハウス神保町がありました。 そこでは、子供向けのイベントや企画も行われていて、読み聞かせやワークショップ等のイベントには、おさんぽ神保町のスタッフも参加させていただいていました。 2017年2月20日に閉店になってしましました。
こどもの本専門店ブックハウスカフェが、2017年5月5日にオープンしたことにより、再び神保町に新刊の児童書専門の書店ができました。 こどもの本専門店ブックハウスカフェでは、子供向けのイベント等が行われる他、大きなソファが置かれた中央のスペースがカフェになっていて、珈琲が飲めます。 平日は11時から23時まで(土日祝日は11時から21時まで)オープンしていて、夜はお酒も飲めるそうです。いつも仕事で遅くなるお父さんにとっては仕事が終わった後、お酒を飲んで子供に絵本を買って帰れるので、助かります。
地下鉄の神保町駅のA1から出て、神保町交差点に向かって靖国通りを真直ぐに行ったところにあります。天井の高い大きな洋風の建物の1階です。 こどもの本専門店ブックハウスカフェに着くと大きな門の前には、花束が並んでいました。 中に入ると、開店をお祝いする人でにぎわっています。 中央のソファでは珈琲やお酒を飲んだりして歓談して楽しそうでした。 店内には絵本や児童書が豊富にある他、絵本のキャラクターグッズ等もありました。 本棚を見ていると宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」見つけました。 昔読んだのですが、もう一度読みたくなりました。 「銀河鉄道の夜」は近年KAGAYAさんの映像がプラネタリウムで上映されて話題となりました。
その画集の絵本もありました。中をパラパラみてみると、りんどうの花が咲く幻想的なカラーの風景を走る銀河鉄道が、描かれていました。 ますむらひろしさんの漫画の「銀河鉄道の夜」もありました。カンパネルラもジョパンニも猫の姿で描かれています。白黒の漫画もイメージを想像できて、面白いです。 その他に「銀河鉄道の夜 宮沢賢治著 金井一郎絵」がありました。物語をもう一度読みたかったので、それを買いました。 神保町に豊富に本がそろっている児童書専門の書店ができ、本の街でまた新しい本との出会いがあればいいなと思います。
島田 敏樹
2017/04/06 21:09
千鳥ヶ淵夜桜ライトアップ
4月2日春の古本まつりの帰りに、ワゴンの古本を見ながら九段まで行き、北の丸公園で桜を見たら、まだ満開とは言えませんでした。 6日の本日は暖かく、桜は満開ではないかと思い、夜、千鳥ヶ淵緑道の夜桜のライトアップを見に行くことにしました。 千鳥ヶ淵緑道の夜桜のライトアップ等は、9日(日)まで延長されてます。
靖国通りを真直ぐ行き、北の丸公園に行きました。北の丸公園田安門の入り口、靖国神社の鳥居の前には、すごい人の行列です。 北の丸公園を少し行くと、観光協会のテントが、まだあり、どら焼き「ちよ桜」が売っていました。 北の丸公園沿いに行き、左側に曲ると千鳥ヶ淵沿道です。 千鳥ヶ淵沿道の入り口はすごい人で、このまま行列に沿っていったら、緑道を通り抜けるのに何時間かかるのかとおもいましたが、千鳥ヶ淵緑道に入ると、すんなり前に進めました。
千鳥ヶ淵緑道を歩いていると、桜並木が続きます。 ライトアップされた桜が、幻想的に見えます。 暫く行くと、千鳥ヶ淵の池の幅が広くなりました。 桜が、千鳥ヶ淵緑道と北の丸公演の双方から、水を求めて、千鳥ヶ淵の池にせり出しています。
更に先に行くとボート乗り場の出口に着きました。ボートに乗っている人は一人もいなく、ロープでつながれていました。 ボートは桜まつりの期間は営業時間を夜間まで延長されていますが、 今日は風が強かったせいかお休みのようでした。 ボート乗り場の入り口はこの先ですという看板が、有りました。 ボート乗り場の入り口付近にトイレが、有り、その横で、さくら見守り隊のボランティアの人が、募金を呼びかけていました。 その付近の桜は他の桜と違い、濃いピンク色にライトアップされています。
先に進むと、千鳥ヶ淵緑道は狭くなり、首都高速環状線が見えます。千鳥ヶ淵緑道は、終わりました。 イギリス大使館の方の交差点を渡り、半蔵門から、東京メトロに乗って帰りました。 千鳥ヶ淵緑道の入り口付近の観光協会のテントで買ったちよ桜を家に帰って食べてみると、カルガモの焼印のある桜の塩漬けの餡が入ったどら焼きでした。
島田 敏樹
2017/03/18 21:17
神保町シアター―「私が棄てた女」遠藤周作原作
遠藤周作の作品は、「沈黙」が「タクシードライバー」のマーティン・スコセッシ監督の映画化が話題となりましたが、神保町シアターでは3月4日~3月31日までの「夏目漱石と日本の文豪たち」で、遠藤周作の「私が棄てた女」の映画化が放映されると聞いて観に行きました。 遠藤周作は、「沈黙」のような純文学の他、「おバカさん」「ヘチマくん」「私が棄てた女」のようなユーモア小説や軽小説も書いています。 どちらも、弱者に寄り添うキリストがテーマです。 映画には遠藤周作も産婦人科医の役で浅丘ルリ子と共演していました。
遠藤周作は、孤狸庵先生と言われ、ユーモアのあるユニークな性格で、テレビのトーク番組やCMに出演していました。 昭和61年にテレビのトーク番組「すばらしき仲間」で、落語家柳屋小三治さんや、女優の壇ふみさんと私の浪人時代について対談しています。その収録が「さぼうる」で行われました。その時の写真が「さぼうる」の壁に貼ってあります。 遠藤周作は、「失敗のない人生ほどつまらないものはないね。浪人しない人が、作家になれますか、落語家になりますか、女優になれますか」 と語っていました。当時は浪人する人が多く、そういう人たちを励まそうとする遠藤周作さんらしいお話しでした。
「私が棄てた女」の映画の設定は1960年代でしたが、 原作では戦争を終わって3年後1948年(昭和23年)の2人の学生の神田での下宿生活から始まります。 親の仕送りはあてにできず、学校にはほとんど顔を出さず、アルバイトに忙しいのが当時の学生の生活でした。 主人公の「私は」御茶ノ水にあった全国学生援護協会で斡旋され、神保町3丁目の事務所にアルバイトに行き、稼いだお金で神田すずらん通りでおでんを食べます。当時、神保町は学生街だったようですね。 そんな大学生の私と「私を棄てた女」ミツとは週刊誌の明星のペンフレンド欄で、知り合います。最初のデートはミツと山小屋風の歌声酒場に行きます。 歌声酒場とは、アコーデオンピアノ等の楽器で、お客全員が合唱する酒場で都会に出てきた若者が仲間意識を求めてやってくる場所でした。
遠藤周作が学生時代に通っていた昭和22年創業ミロンガヌオーバの前身ランボオも、作家と編集者のたまり場でした。当時の喫茶店や酒場は珈琲や酒を飲むだけでなく、人と人との出会いの場だったのです。 2度目のデートでミツの体を奪って別れます。大学を出た私は就職し要領よく生きていきます。 ミツはお人よしで、弱い人をほっとけず、騙されて風俗に身を落とし、弱いの人のために、老人ホームで老人を助ける仕事をすることになりました。 「沈黙」は、キリスト教の禁教の日本にやってきた司祭ロドリゴは、棄教を迫られ、拷問を受けた弱い信者を見捨てられず、棄教し踏み絵を踏みます。 私が棄てた女ミツは、「「沈黙」のロドリゴ司祭と同じように弱い人たちを救おうと寄り添って生きていきます。
映画が終わって外に出ると星がまたたいていました。 遠藤周作の「おバカさん」の一場面を思い出しました。 「星がまたたいている… この地上の人間はみんなナポレオンのように利口で、強い人ばかりではない。この地上は利口で強い人のためだけにあるのではない。 自分やこの老いた犬のような― あの空の星の中にもきっと自分たちと同じような星があるにちがいない。 鋭い光を放つかわりに、弱々しい。しかしやさしい星もあるにちがいない。」
島田 敏樹