2016/11/15 21:45

神保町―モノクロ町画集

1.jpg

「本屋図鑑」で絵を描かれた得地直美さんが描いたモノクロ町画集「神保町」夏葉社さんを神保町から先行販売中です。 神保町ブックフェスティバルで、夏葉社さんのワゴンに置いてあり、神保町の書店にも並んでいたので、気になっていたので、東京堂書店さんで買いました。 東京堂書店さんは、「神保町」の先行販売を記念して、軍艦Tシャツも販売しています。 軍艦とは、東京堂書店さんの1階のレジの前にある平台で、棚ざしや面陳列の本棚の下にぐるりと話題の新刊本等が、平積みされているのが、船のようなので、そう呼ばれています。 その東京堂書店さんの軍艦が、以前得地直美さんの「本屋図鑑」で描かれたので、記念のTシャツになったのです。 モノクロ画集「神保町」は、2010年から2016年の神保町の風景をモノクロで描かれていました。 神保町の風景を描かれたものに、下田裕治さんが描かれた「神田百景」(第一通信社発行、創栄社/三省堂発売)があります。

2.jpg

1984年から2008年までの間の神田の風景を描かれたものです。 下田さんの描かれた時代はちょうどバブルが始まったころで、神保町もバブルに飲み込まれてしまうのではないかと心配されていました。 その頃の神保町の変化は激しく、そこに描かれた風景はもう見ることができなくなってしまったものもあります。 平成12年(2000年)の神保町再開発で、ロシア料理バラライカ、神保町の洋服屋がなくなり、茶房きゃんどるも再開発したビルの中に移転しました。 駿河台下を少し行ったところにあった大正13年(1924年)頃建設された靖国通りの12連長屋も、今では2連になっています。 俎橋から靖国通りの神保町3丁目に佇んでいた昭和2年(1927年)に建設された九段下ビルも平成24年(2012年)に解体されました。

3.jpg

得地直美さんの描かれた2010年頃からの神保町も、時代の流れと共にゆっくりですが、変化しています。 その時代の描かれた風景も今では見ることができなくなったしまったものもあります。 白山通りにあったスーパーのFjiyaはなくなり、今はドラックストア―になっています。 白山通り側のすずらん通りの入り口にあった床屋さんもなくなり、今では、銀だこになっています。 得地直美さんの描かれた神保町は、失われつつある神保町の風景を記録したものとして、大事にとっておきたいと1冊です。 また、描かれた神保町の風景は、神保町の魅力的な場所の素晴らしい風景を味わいのあるモノクロで描かれているものなので、この本をもってその風景を探しに神保町の街を歩いてみるのも楽しいと思いました。

「神保町」モノクロ町画集 得地直美著 夏葉社は 神保町書店にて、販売中です。

 

島田 敏樹

2016/10/30 21:53

第26回神保町ブックフェスティバル

1.jpg

10月28日(金)から11月6日(日)までは、古書店のお祭り第57回神田古本まつりが行われています。 10月29日(土)と10月30日(日)は、新刊書店のお祭りの第26回神保町ブックフェスティバルが行われます。 神保町ブックフェスティバルでは、出版社、書店、神保町の飲食店が、ワゴンを出したり、イベントを行ったりします。古本まつりが、主に、靖国通り沿いに露店を出しているのに対し、ブックフェスティバルは、すずらん通り、さくら通り沿いにワゴンを出しています。 おさんぽ神保町も、11月から土日祝日に行っているなぞ解き街歩き「夏目漱石と失われた百年物語」のキットの販売、漱石の缶バッチのガチャガチャ、漱石のグッズ等と神保町銘菓セットのワゴンを出しました。

2.jpg

神保町銘菓セットは、学士会館のミニ月餅・亀澤堂のかんだのかのじ・大画像を追加丸やき茶房の大丸焼き・ Tea House TAKANOの紅茶・文銭堂の銭形最中。何れも神保町の名店の名物が入っています。

すずらん通りの湘南堂書店とまれびとさんの間の通りにテントを張ります。朝、8時15分から、テントを張って準備をしました。 10時半になりパレードが行進しました。

3.jpg

パレードは駿河台下のすずらん通りの方から、白山通りのすずらん取りを通り抜け、白山通りを渡り、さくら通りに消えていきました。 パレードが終わり、書店でなぞ解のアンケートをしていました。 昼休みに、すずらん通り駿河台下交差点には、ニューオリンズのジャズを演奏していました。ワゴンは、本の販売の外、三幸園の焼きそば、揚子江菜館の肉まん、日比谷Barのお酒、神保町ボンディのチキンカレー、如水会館のクッキーなどテレビ雑誌でお馴染みのお店のワゴンが並んでいました。 お昼は、神保町ボンディのチキンカレーと三幸園のもつ煮込みを食べました。

4.jpg

 

島田 敏樹

2016/10/30 21:49

神保町シアターーウォーナーの謎のリスト

1.jpg

10月29日{土}~11月4日(金)に神保町シアターにて、「ウォーナーの謎のリスト」が上映されています。映画は戦災から日本の文化財を守った男ランドン・ウォーナーの映画ですが、神保町を救った男セルゲイ・エリセーエフも関連して出てきます。 10月29日{土}に神保町ブックフェスティバルや神田古本まつりが開催している中、神保町シアターに観に行きました。 初日だったので、映画監督の金高健二さんと、八木書店の八木壮一さん、北沢書店の北澤悦子さんが舞台挨拶をされました。 北沢書店さんは、今は外国書を取り扱っていますが、戦前は国文学を取り扱っていて、日本研究者のセルゲイ・エリセーエフと交流があり、戦後北沢書店さんを訪れたと、北澤悦子さんが語っていました。

2.jpg

 八木さんは、神保町を戦災を免れたのはセルゲイ・エリセーエフがマッカーサーに進言したことによるのだ神保町では信じられていましたが、「そんなはずはないよ」という人もあり、「本当はどうなの」と映画監督の金高健二さんにお聞きになったことから、この映画がつくられたとのことです。 おさんぽ神保町で、神保町・漱石フェスを開催するので、その準備のため、セルゲイ・エリセーエフと交流のあった夏目漱石の作品を読みました。 「門」(明治43年作)で、主人公の宗助は散歩のため駿河台下で路面電車を降り、本屋の前を通り、とあり、「こころ」(大正3年作)で主人公の先生の学生時代、下宿から散歩で神保町を通過し、何時もこの界隈を歩くのは古本屋をひやかすのが目的だったと書いています。

3.jpg

セルゲイ・エリセーエフが日本に留学した明治40年(1907年)から大正2年(1913年)神保町は本の街となっていて、夏目漱石はそのことを知っていたと思われ、セルゲイ・エリセーエフも夏目漱石などを通じてそのことを知っていた可能性があります。 映画は、監督の取材と、当時の物語で進行していきます。 パリ万国博で日本文化が気に入ったエリセーエフは日本に留学し夏目漱石の弟子になります。明るい性格から日本人に飛び込み日本と日本人がすっかり好きになりました。ロシアに戻ったエリセーエフは革命に遭い亡命し、アメリカのハーバード大学で教鞭をとります。ハーバード大学でランドン・ウォーナーと親交がありました。 ウォーナーはイェール大学の朝河貫一と日米開戦を避けようとルーズベルト大統領から天皇陛下に対する親書を画策しますが、日米開戦は避けられませんでした。 それでも、日本文化財を保護するためそのリストを作成するのです。

4.jpg

果たしてそのリストや進言により、日本の文化財が守られたのだろうか、文化とは何か、国を維持していくとはどういうことか  考えさせられる映画でした。 映画を見終わり外に出てみると、神保町は神保町ブックフェスティバルや神田古本まつりの後片づけをしていました。 もし神保町が爆撃されていたら、神保町は本の街ではなく、別の街になっていたかもしれないなとおもいました、

 

島田 敏樹

2016/10/14 21:57

夏目漱石青春の地を行く

夏目漱石の神保町の街歩き「夏目漱石青春の地を行く」に参加しました。 講師は共立女子大の深津謙一郎教授です。まず共立女子大で、深津教授のレクチャーを受けました。

1.jpg

それから、夏目漱石が、通った大学予備門の有った学士会館に行きます。学士会館では、東京大学発祥の地の碑に行きました。学士会館から、すずらん通りを通って、靖国通りに出て錦華通りを通って、夏目漱石が通った錦華小学校があったお 茶の水小学校へ向かいます。

 

2.jpg

お茶の水小学校に着いたら副校長が出迎えてくれました。お茶ノ水小学校では、小学生が母校の先輩である漱石の著者「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「それから」の冒頭部分を暗唱しているそうです。 記念室に案内してもらいました。記念室には、夏目漱石のレリーフ、自筆原稿、初版本、熊本第五高等学校で夏目漱石の述べた祝辞が書かれています。

3.jpg

錦華小学校を出て、錦華坂を登って山の上ホテルに出て、明治大学にでました。夏目漱石は明治大学でも講師をしていました。明治大学から明大通りを下り、井上眼科病院とニコライ堂に向かいました。井上眼科病院,は、漱石が初恋の背のすらっとした細面の美しい女性に出会った病院です。 ニコライ堂は「それから」で、代助が友人の平山にニコライ堂の復活祭の様子を語りました。池田坂から見ました。

4.jpg

池田坂を下って行き、太田姫神社を曲り、駿河台下から、靖国通り出て、夏目漱石の本の有りそうな八木書店、玉英堂書店を見ました。 靖国通りを神保町交差点に向かい、岩波書店のあった岩波ブックセンターへ行きました。岩波ブックセンターから、岩波書店本社に行きました。岩波書店本社には漱石が書いた岩波書店の看板がありました。

5.jpg

その他、岩波茂雄さんが夏目漱石に送った絵葉書、夏目漱石が朝日新聞渋川玄耳さんに宛てた書簡、夏目漱石の初版本、12月に刊行される漱石全集の見本などがありました。

6.jpg

 

島田 敏樹

2016/10/09 17:56

神保町・漱石フェス岩波ホール前特設テント

1-1.jpg

1-2.jpg

10月8日神保町・漱石フェスのテントが張られました。テントは、物販のテントと展示のテントの2つあります。

物販のテントには、謎解き街歩「夏目漱石と失われた100年物語」のキットを販売する他、以下の漱石販売グッズがあります。
まず、くまモンの募金箱があります。夏目漱石が、熊本の第5高等学校に講師として赴任し、熊本を舞台として小説「草枕」「二百十日」を書かれています。熊本震災復興のため募金箱を置きました。

その横に香日ゆらさんの漫画「先生と僕」「漱石とはずがたり」等が置いてあります。香日ゆらさんは漱石漫画を描かれており、謎解き街歩「夏目漱石と失われた百年物語」に漫画を提供して下さいました。

1-3.jpg

1-4.jpg

隣りに絵葉書、漱石のサイン入りペン、一筆箋、夏目漱石のクリアーファイル、こころのノート、こころの岩波文庫のポーチ、神保町公式ガイド1~6、缶バッチのガチャポンなどがあります。

1-6.jpg

1-5.jpg

1-7.jpg

展示テントは、漱石文庫や12月に刊行す定本漱石全集のご案内、
漱石とゆかりと神保町界隈の漱石ゆかりの場所が書かれた「さすが神保町漱石がいっぱい」
明治43年の古地図、岩波書店と夏目漱石関連年表、
10月29日{土}~11月4日(金)まで神保町シアターで放映される「ウォーナーの謎のリスト」の映画のご案内などがあります。
第二次大戦中、日本の文化財を救うため、空爆の目標から外す地域のリストを作成した外国人がいました。神保町もそのリストに含まれ戦災に遭わなかったと言われています。
リストを作成したラングドン・ウォーナーの謎のリストの映画です。本テントでもチケットを販売しています。

1-8.jpg

岩波ブックセンターの特設テントは明日(10月10日)で終了します。

島田 敏樹