2017/01/28 21:25

聖橋

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湯島聖堂を出て、ニコライ堂に向かう橋が聖橋です。 聖橋は、昔のTBSテレビドラマ「JIN」のオープニングに出てきた橋で、橋の上から、電車が何本も交差する御茶ノ水駅が見えます。 その御茶ノ水駅前後には大きな病院や医科大学がたくさんあり、「JIN」に出てきた脳外科の医者仁は、この近くの順天堂病院をロケ地とした病院に勤めている設定になっていました。そこの非常階段から、落ちて幕末の江戸にタイムスリップしたことになっています。

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江戸時代、診療所は徳川吉宗によって建てられ山本周五郎原作「赤ひげ診療譚」の舞台となった現在の水道橋小石川植物園にあった小石川療養所があり、また医学校は神田佐久間町に漢方医の医学館がありました。 医学館は火事で焼け神田佐久間町から浅草橋に移転します。移転した浅草橋に碑がありました。 医学館は、開国の年に西洋医学所ができ、次第に衰えて明治2年になくなります。 「JIN」では、タイムスリップした仁がペニシリン製造に成功し、江戸で評判となったことから、医学館が、仁が身を寄せている緒方洪庵頭取の西洋医学所と対立することになっていました。

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西洋医学所は、神田松枝町(神田岩本町2丁目)のお玉ヶ池の傍にありました。 神田松枝町に行くと種痘所として成立した西洋医学所の碑があります。 「JIN」では、緒方洪庵が「西洋医学所は最初伊東玄朴先生たちが私財を投じて作ったもので、そこで、玄朴先生も緒方洪庵も『人殺し、出て行け』と石を投げられながら種痘の道を切り開いてきた。」と語っていました。 そんな西洋医学所に身を寄せていた仁でしたが、 無許可で腑分けした西洋医学所の佐分利の責任を取って緒方洪庵が辞めようとしているのを知り、佐分利の身代わりに責任を取って医学所を去ると言います。 緒方洪庵は現代医学の知識を持つ仁を引き留めますが、仁は緒方先生こそ残るべきだと言います。

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「分かりやすく利益になるものは、ほうっておいても進化していきますが、石を投げられ、私財を投じても人を助けたいと思う医の心を伝えていくことは難しいことです。」 医の心未来に伝えてくださいね と言って 仁は西洋医学所を去りました。 聖橋の道路を渡り、橋の上から順天堂病院を見上げました。病院や医科大学が高さを競い合うように建っていました。

 

島田 敏樹

2017/01/08 21:30

湯島聖堂

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神田明神に初詣に行く途中の聖橋を渡ったところに湯島聖堂がありました。 外堀通りから、正門を通って中に入ることにしました。 奈良時代は、平城京に東大寺等の大寺、各地に国分寺を建て、仏教を国家鎮護に利用しますが、 江戸時代は、儒教を武士の封建時代を支えるために利用します。 徳川綱吉が、湯島に孔子の聖堂を建て、附属の官立の学問所を設け、幕臣の子弟や諸藩の者、浪人などに儒教を学ばせました。 正門から仰高門から中に入ると、孔子銅像がありました。孔子銅像は孔子像としては世界最大の銅像です。 中国の春秋戦国時代に、国が争い各国の君主は競い合って国を強く豊かにするため知識のある人材を求めます。

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 そのため、君主に政策を提案して諸国を旅する学者学派、諸子百家が登場しました。 諸子百家の儒教の創始者として孔子が出てくるのです。 儒教は、子は親を敬い、家臣は主君を敬い、主君は仁と徳に基づいて政治を行う。江戸の武士の封建制度を支える学問でした。 孔子像から、先に進むと入徳門があり、入徳門から中に入ると水屋がありました。 儒教は日本では宗教というよりは学問として紹介されますが、 儒教の創始者孔子は聖人として、その霊を祀る建物である孔子庵に入るには水屋で浄める必要があります。

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湯島聖堂附属の官立の学問所は、明治維新後、新政府が接収し、昌平学校となり、大学大学校へとなります。 そのため日本大学発祥の地とされています。 入徳門から中に入ると階段があり、階段を上ると杏壇門があります。 杏壇門を入ると、受験シーズンということもあり、合格祈願の受験生等がいました。 その先に大成殿が見えました。 大成殿は、御賽銭箱が置いてあり、外から拝むことができますが、中にも入ることができ、中には孔子像の他、孟子・顔子・曽子・子思の四賢人像があります。

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合格祈願の鉛筆等も売っていました。 論語素読等の文化講座のパンフレットが置いてありました。 湯島聖堂の附属の大学は、明治4年に廃止されますが、文化講座として続いているそうです。 大成殿を出て、聖橋門から、聖橋に出てました。 明治維新後、封建制は廃止され、神保町に大学をつくられ、学問の中心が儒教から洋学になり、西洋の平等自由個人主義の考え方が輸入されましたが、 人に対する思いやり(仁)、損得を考えず正しいことを行う(義)、人の信頼を守る(信)といった武士の世から続く儒教的な考え方は現代でも大切なものではないでしょうか。

 

島田 敏樹