2022/05/19 15:03

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No5. 崇文荘書店さん

今回の取材は洋書の古書が専門の崇文荘書店さん。店主は阿部宣昭さん(78)。

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設立は1941年6月、義父が開業。当時はまだ洋書を扱う書店は珍しかった。しかし間もなく太平洋戦争が始まり、敵国語を扱っていると憲兵の立ち入りもあった。同盟国のドイツ語、イタリア語の本と言って検閲をかわしたこともあったとか。(時代を感じさせるエピソードである)それでも当時こっそりと洋書をもとめる政府関係者や将校の姿もあったという。それから戦後、日本がアメリカの占領下となって学校でも英語を教えるようになってから洋書の需要が急速に増えた。また大学の図書館も洋書の一定所有割合を求められることになり追い風に。洋書の買い付けで海外まで行くようになったのは昭和50年に入ってから。まだ当時は1ドル360円の時代だ。それから更に1970~80年代にかけて海外への買い付けに行く機会も増えていったという。これまで得意先のほとんどが大学、博物館、美術館関係だったそうだ。しかし今はインターネットの普及と同時に一般の人たちがわかるようなテーマの書籍を扱うようにしたと阿部さん。10年くらい前から個人の顧客も増やそうと初版本、限定本、趣味の絵本、釣り、登山など神田に足をむけるような方向の広告をやっていこうと取り組んでいると語る。さらに国際古書籍商連盟の加盟メンバーである日本古書籍商協会(ABAJ)による国際稀覯本※フェアが2年に1度行われているフェアのことも案内してくれた。珍しいものがあればマスコミにも取り上げられる。しかし最近ではデジタル化の波でイギリスのオックスフォード、ケンブリッジでもアカデミックな本の出版が少なくなっていて、ますます本の値段が高くなっているという。本として持っていたいという人達との連携が必要。フェアや古本市を通じて数百円のものから数百万円のまで値段の安い高いに関わらず本を行きわたらせる活動をしている。それには東京だけの盛り上がりではだめで全国展開をしていかないといけないという。

街の文化を次の世代に継承していく

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折しもつい先日のGWが終わるとともに神保町のシンボルのひとつであった三省堂本店がビル建替えのため3~4年ほど今の一丁目1番地の場所からしばらく姿を消すことになった。是非早く戻って来てほしい。新刊書店と古書店は密接な関係がある。新刊の出版がなければいずれ古書の供給も途絶えてしまう。そして阿部さんはこう続ける。ニューヨークやロンドン、パリなどこれまで海外の都市を見てきて世界の都市の中心地では日本でバブルが終わった頃からか、次第に書店の数が減ってきている。例えばロンドンでは都心の観光地化、地価が上がるにつれ書店も次第に少なくなってきた。戦前戦後を通じてここまで変わらず書店街の姿を残しているのは世界中を探してもこの神田神保町くらい。ロンドンの書店は殆ど賃貸でテナント料の高騰は店舗の撤退を余儀なくされる。一方神保町の軒並みの書店は自前でもっている老舗も多いのでそれが強みにもなっている。神田は江戸時代終わりころから本屋があったという。それから明治になって周りに大学ができた。東京大学発祥の地もここ神保町に近く(学士会館)、そして明大や日大、法政大などの大学もできて学者や学生も集まり本屋も段々増えてきた。百数十年の歴史をもっている。これまで先人たちが戦争中は本を疎開させたり、いろいろな困難を乗り越えてきた。今もコロナ禍で大変な時期だが、文化の発祥地としてどう街をまもっていくか、創意工夫が問われている。

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古書店連盟、古書店組合神田支部でも地図をつくったり古本祭りを開いたり、組合でやる即売会の古典会や明治古典会などに変わった本、珍しい本が出ればできるだけマスコミにも宣伝して取り上げてもらっている。それに東京や千代田区との行政との関わりは何より欠かせない。今は戦後の3代目の人たちが頑張っていて、優秀な人たちもいっぱいいる。承継の問題など不安もあるが頼もしく思っていると後進へエールを送ってくれた。

※稀覯(きこう)本・・・世間に流通するのがまれで珍重される本

※手紙の写真はアインシュタインが日本滞在中に息子にあてたもの(出展品)

最後に一言

1階は学術書、2階は趣味関係(文学から子供向けなど幅広く)や稀覯本まで扱っています。

崇文荘書店阿部さん、ありがとうございました!

ライター:みずも