2024/01/19 19:18
「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.24 八木書店古書部
今年はじめに紹介するのは八木書店古書部。奈良時代から近現代までの日本文学を扱う書店だ。取材に応じてくれたのは社長の八木乾二氏(84)。創業は父敏夫氏。兵庫県明石市二見町の出身で昭和4年に上京、一誠堂に入社し昭和9年に独立。同年古書店業者向けに市場の相場を掲載した専門誌、日本古書通信を創刊。昭和19年に出征するまでに神保町界隈で店舗を5回ほど移転した。戦争から復員すると知り合いの伝手を頼り上野松坂屋古書部を始め盛況を得た。当時人々は活字に飢えていため、地方に古書を仕入れに行っては百貨店で小売りをしたという。その後出版社からの返品本をバーゲンブック(特価本)として仕入れ、同じ松坂屋の別館で卸売りもやっていたそうだ。「とにかく父は出版、卸、小売りと何でもやった」と八木氏は語る。
八木氏が大学を卒業する昭和36年に東陽堂書店や玉英堂書店、大屋書房など他の古書店がならぶ隙間がない長屋状の看板建築の一画を取得し、以来古書部は当地(神保町1丁目1番地)に店舗を構えることになる。昭和40年代には一誠堂時代からの縁で奈良にある天理図書館の天理善本叢書の仕事を手掛けることになった。叢書なので定期的な発刊のため出版部を本格化させた。ところが当時の酸性紙は劣化が早く、すぐボロボロになる。奈良時代につくった紙が残り、後世につくった紙が残らない。本を作るなら残るものを作りたいという信念から当時王子製紙と提携、中性紙を使って出版し、他の出版社の先駆けになった。「江戸時代は自分のところで和本を刷り、古本も扱っていた。古本屋が出版社を兼ねるという業務形態があり(たとえば岩波書店も元は古本屋だった)父もそれを考えていたのだと思う」と語る。
八木氏に今の神保町の街の様子とこれからについて話をきいた。「とにかく外国人が多い。神保町にはシティホテルが結構あって、大手町や日本橋など他の場所の高級ホテルと比べると手軽に安く泊まれる。また交通の便がよく、新宿や渋谷にも簡単に出られるから、神保町を起点に動くことができる。」さらに続く。「今はもう世界一の古書店街といって胡座をかいていられる時代ではない。表に向かって発信し、観光客を受け入れるスタイルを考えないといけない。新刊、古書店をふくめ版元がうまくやっていかなければ。」しかし一方で本の未来について、「紙媒体の日用性がいつまで続くのかは疑問だ。今の時代は新聞ひとつとっても多くの人がスマホをとおして画面を見ている。しかしそういったデジタル媒体で、文字や画像が正しく残るのか」と八木氏。たしかにデジタル保存の技術はまだわずか数十年の歴史しかない。パソコン創成期のフロッピーディスクに代表される磁気媒体からレーザー光を使ったCDやDVDなどの光学媒体、半導体を使ったフラッシュメモリ、そして近年のクラウドストレージとここ50年くらいで目まぐるしく変わっている。果たしてこれから先、過去の記録を何百年も先までそのまま保存できるのか。一方で紙という媒体は、千二百年前、奈良時代のものさえ現存する。読み取り機械も必要ない。そうした時代のながれにあって最後に八木氏は「古き良き文化を明るい未来に橋渡しするのがうちの精神だ」と語ってくれた。
・・・八木書店、八木さんありがとうございました!
取材日 2024.1.12 ライター:みずも