2023/04/01 09:51

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.15 @ワンダー

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.15 @ワンダー

 今回紹介するのはSF、映画、ミステリー、サブカルチャーなど趣味・芸術関連書籍を扱う@ワンダー。取材に応じてくれたのは社長の鈴木宏氏(66歳)。2001年に神保町で本店を構え、今年2月にパチンコ人生劇場跡地の120坪という広いスペースで新しい店舗をオープンした。開業は1986年新宿、早稲田大学の近くで自身の持っていた本、漫画を中心に貸本屋を始めたころに遡る。その後高円寺に場所を移したが、80年代終り頃、若者の間にバンドブームがあり、邦楽ロックという言葉を考えてロックを中心に音楽の店をやったらいいかな、という手応えがあったという。高円寺からどこにお店を出したらいいかと考えていたところ、最初は新宿を考えていたが、たまたま神保町をぶらぶらしていたらこういう店が空いているよ、という声が掛かり、ここでやってみようと RB(アールビー)という店をはじめた。洋楽、邦楽ロック中心の音楽、映画、スポーツ、サブカルチャー全般、車、そして当時はアイドル写真集ブームもあって非常に繁盛したのだそうだ。

その後サブカルチャーで扱っていたそれまでとは違う映画、ミステリー、SFなどの分野に乗り出すタイミングで店名を“@ワンダー”と変えることに。命名はその頃のスタッフが考えたそうだが、その由来はアット“@“はインターネットを使いますよ、という意味。ワンダーは”センス・オブ・ワンダー“から。それとある年齢以上の人は知っている「アッと、驚く為五郎」という古いギャグも絡んでいるのだとか。

 

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.15 @ワンダー

 

他の古書店に比べ広い店舗で営業をしている理由をたずねると、テーマのない中古本大量出版のうえに成り立っている大型店とちがい、テーマのあるお店でお客さんに来てもらってゆったり楽しんでもらいながら本を選んでもらうというお店を神保町につくりたかった。元々の本店の方は今までのある分野のコレクター、お客さんもいて一定の広さはあるけれども1~3階と分かれているし、扱うテーマも二つ三つでなく古書全般にしたいと思っていた。今まで扱っていなかった哲学、人文関係を集めて多くのお客様にきていただいて神保町に賑わいを取り戻せるようなお店になりたい、と鈴木氏は語る。ここ本の街、神保町には書店だけでなく大手出版社も建ち並ぶ。しかしコロナを経て出版社で働く人たちの勤務もリモートが当たり前になっているのだそうだ。以前は神保町の古書店を支えてくれていたそういう人たちも、リモートになるともう来なくなる。新たな古書ファンの人たちに来てもらわないと成り立たないのでは、と鈴木氏。おそらく他の多くの書店関係者も同じ気持ちを抱えているのではないだろうか。

 「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.15 @ワンダー

新しいお店に来て見るだけで楽しい、興味をもってもらう、そうした思いでオープンした新店舗。来店するお客さんも女性、カップルなど今まで古書店に来ていなかった人たちも目立つという。特に20代くらいの若いお客さんも多いという感触だ。なぜそうかというと電子マネーの利用が多いからだとか。(実際若い世代ほどスマホ決済が多いという調査結果もある)

時代のながれはネット、バーチャル空間という方向にシフトしているように見える。しかし、ネットだけでは完結しない、リアル書店の存在の必要性をとてもわかりやすく表現してくれた。「〇ックオフに行くか?神保町に来るか?」「Amazonで検索するか?神保町で探索するか?」ネットはひとつものを目的にして検索することには優れているが本屋には本が沢山ならんでいて自分の興味がある分野の棚を見て、またはスタッフと話しをして新しいものを発見したりすることができる。そうだ、本との出会いは知的好奇心をくすぐる楽しみでもあるのだ。そういう場所として残っていくという実験店になれば・・・そうした思いも語ってくれた。

 

※書籍の写真は大人も楽しめる新刊絵本

 

最後に一言

 いつ来ても楽しく、見るだけ喜んでもらえるお祭りのような催事空間にしたいと思っています。是非足を運んでください。

 

・・・@ワンダー、鈴木さんありがとうございました!

取材日 2023.3.22 ライター:みずも

2023/03/07 14:47

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.14 北澤書店

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今回紹介するのは洋書専門の北澤書店。取材に応じてくれたのは社長の北澤一郎氏(68歳)。創業は祖父の弥三郎氏。滋賀県の出身で18歳のとき東京に出て神保町の書店で修業、1902年(明治35年)に独立開業。露店での商売もやっていたという。英米の洋書専門で知られる同店も当初は和漢洋の書籍を扱っていた。明治後半から大正、昭和と日本が海外に出る拡張期、書物は海外の情報を知るきっかけとなる。またその反対に海外も日本の情報を知りたがっていたという時代背景もあった。1920-30年代の目録をみると、今では100年前の書籍もその当時は新刊でまだ日本にはそれだけのものをつくる国力がなく、とても高価な買い物。それでも学術振興のためには必要ということで仕入れていったのだと。大学に大量の本を納めるというのがその時代のビジネス拡張のエポックメイキング。日本国内だけでなく戦前は東京、京都などの帝国大学系列で満州、朝鮮、台湾といった広く海外(当時は日本)の大学にも納品したのだそうだ。やがて戦争が終わり、戦後しばらくは開店休業状態だった。そして1955年、北澤書店にとって大きな節目を迎える。お茶の水女子大学、都立大学で英文学の教鞭をとっていた一郎氏の父、龍太郎氏が祖父からの頼みで二代目として書店を引き継ぐことに。その頃大学の助教授で将来の教授のポストも約束されていた龍太郎氏にとっては迷った末の判断だったという。しかし、本好きでもあった父は総合的に鑑みて英文学、洋書専門店にすることを条件に引き受けたのです、と北澤氏。日本が戦争に負けて戦後10年、在庫目録復刊第一号を出して北澤書店を洋書専門店として公表。当時洋書を専門にやっていたのは丸善、紀伊国屋などが中心であまり多くなかったが、小回りを利かせ海外の出版目録を見て内容を研究しながら日本に合うもの、これから必要になるものを学者ならではの視点で研究、分析、予測し、同業者がなかなかできないことをやって伸ばしていった。英語で商談をこなし、海外の重要人物とも会いながら自分のビジネススタイルをアピールした。学者出身ということでも知られ海外の出版社や大学との信頼関係も相当あったと思う、と話す。その龍太郎氏も1982年、今の本社ビルの建設中に他界した。学者から商売人に転身して洋書専門書店を作り上げ、その集大成としての本社ビルの建築に力を注いで奔走していた矢先のことだった。その翌年完成した北澤ビルは1Fが新刊洋書、2Fが古書洋書としてオープン。神保町の書店街のなかで洋書専門店としてのあゆみを重ねていく。

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そして時代がながれ、再び大きな転機が訪れる。Amazonの進出による輸入販売の一大変革である。それまで洋書販売は総代理店がいてそこから国内仕入でまかなえたがインターネットの普及により産地直送販売が始まったのだ。わずか5年程の間にその波が広がり、北澤書店にとって大きな影響を受けた。2005年に1階で営業していた新刊洋書部の閉店を決断し、18名ほどいた社員全員が退職することに。その後1階はテナントに貸し出し、2階をこれまで通り古書店販売という形態で現在に至っている。

商売にはいろいろな変遷がある。2022年の統計では全国の書店数は8642店で毎年その数は減少傾向にあるとされ、一方の古書店は組合傘下で2300店余り。書店の存在はその街や都市の文化レベルを表す指標ともいわれ、私たちみんなが大事に支えなければという思いがますます募る。

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最近の神保町の古書店街にSNSを介した新しい書店が登場していることなどについて感想をきくと、「これだけ厳しいといわれる業界に関心を持って入ってくる、それ自体がすばらしいことだと思うし、結果はどうなるかわからないがチャレンジできる場であることがその場所の魅力。新しい事業者が現れてきて浮き沈み、入れ替えはあるかも知れないがそういうことが繰り返されて面白い街になっていくのではないかと思う」と北澤氏。後進へのメッセージについて尋ねると、「若さは魅力、自分がまだ若いときはそういうことには気づかなかった。人生はそういうものなのかな。体も動くし、いろいろなことも考えられる。神保町新規参入の店も老舗と呼ばれる店もお互いに刺激し合って若いパワーが街を造っていくと面白いんじゃないかな」・・・時間は誰にも当たり前のように過ぎていく。出来るときに出来ることをやる。何でもチャレンジして突き進んでいってもらいたい、という若い人たちへのメッセージとして響いた。

・・・北澤書店、北澤さんありがとうございました!

 取材日 2023..26 ライター:みずも

2023/02/18 15:42

サイトリニューアルについて

いつも「おさんぽ神保町」をご覧いただき、誠にありがとうございます。

本サイトは2023年2月18日をもちましてサイトリニューアル、サーバ移転を実施しました。

それに伴い、最長で2月21日頃まで

・サイトの表示
・メールの送受信

に支障が出る場合がございます。

サイトが表示されない場合は、しばらく時間をおいてからアクセスをお願いいたします。

また、数日経ってもメールの返信がない場合などには、大変お手数ですが、03-6315-0184 までお電話をお願いいたします。
不在の留守電にメッセージを残していただければ折り返しお電話いたします。

なお、サイトの各ページについて、新サイトではURLが変更となっております。
古い記事についても掲載を終了しております。

お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

2023/02/03 19:33

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.13 南洋堂書店さん

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今回紹介するのは建築専門書店の南洋堂書店さん。創業は1926年。現在の店主は3代目、荒田哲史さん(61歳)。取材に応じてくれたのは店員の新宮岳さん(44歳)。書店でアルバイトをし、建築の歴史を勉強していたのがきっかけで16年ほど前に同店に入社。店舗は1980年建築家の土岐新氏の設計。2007年、1,2階を同じく建築家の菊地宏氏が改装。コンクリート打ち放しで正方形がモチーフになっている。店内も1,2階が吹き抜けで解放感があり、さすが建築専門書店の雰囲気を感じさせる。同書店が建築を専門に扱い始めたのは先代の演彦(のぶひこ)さんの昭和50年代の頃からだそうだ。当時大学(明治大、日本大、電機大、理科大など)の建築学科とのつながりがきっかけ。顧客は主に建築関係の大学、研究者、学生などが中心だが、最近のブームの影響か街歩きから建築ガイドを探しに訪れる客もいるとか。新宮さんに店内書籍を案内してもらった。本棚には復興建築、看板建築、純喫茶建築の本など素人でも興味深そうなものからプロが見るような国内外の建築家の作品集が並ぶ。建築という言葉を単に辞書で引くと家や橋を建てるといった簡単な説明だが、建築という学問を調べてみると実はもっと奥が深い。工学や社会学さらに芸術・文化的側面をもつ。「快適性」、「災害に強い」、「美しいこと」を追求する。都市計画、まちづくりにも関わっていて、近年コミュニティに果たす役割も注目されるまさに理系、文系の垣根を超えたマルチな学問だ。人のいるところには建築があり、そこに地域性や歴史性が現れるという。わが国の建築も伝統を受け継ぎつつ現代につながっている。建築業界のノーベル賞といわれるプリツカー賞という賞があって、日本からはこれまで8人の受賞者を輩出し、国別ではアメリカと並んで最多なのだそうだ(あまり知られていない?)日本の建築が海外から高い評価を受けている証しだろう。

街歩きで建築めぐり

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神保町を歩いているとレトロな看板建築に出会ったりする。そもそもレトロ建築とは一般的に明治、大正、昭和期に建てられた西洋の建築様式の影響を受けた歴史が感じられる古い建物をいうのだそうだ。そして一歩路地裏に入ると昭和の時代にタイムスリップしたような空間もある。しかし時代のながれで所々建物が取り壊されて建て替えとなり、新旧入り混じった街の顔が見え隠れしているのを感じる。これまでの取材の話でも聞いてきたが神保町の街の復興もそうであったように、日本の都市の近代化は戦災や人災、天災を機会に進んできた。特に第二次大戦の戦後復興からはじまり、高度経済成長期を経て豊かになった時代にそれまでのスクラップアンドビルドを改め建築のシンボル性が再考される。しかし平成不況で再開発やデザイン重視の建築が進まず、戦後初期の雑居ビルなどが老朽化したまま残されて今の雑然とした街並みになったというある建築史の解説を読んだ。その間、私たちの記憶に残る阪神淡路大震災、東日本大震災など大きな地震を経験し、耐震性評価や復興・都市計画という問題にも向きあった。そうしたながれや現実を振り返り、取材の際の新宮さんの本の説明のなかで語ってくれたモダニズム、メタボリズム、現代建築とそこに名前のあがる巨匠から若手の建築家たちの思想や作品などにふれてみるとますます建築の世界の面白が感じられるような気がした。それを身をもって体験しようというのが本棚のコーナーにもあった街歩きガイドである。街歩きは知的好奇心を誘い、ほどほどの運動にもなるので健康的だ。我々中高年には恰好のアクティビティだと思う。あてもなくふらっと散策するのもいいが、その前に少しその街の文化や歴史、そこにある建築にも興味をもって少々のウンチクを語れるくらいになるのもちょっとした大人の楽しみではないだろうか。建築に興味を持った方は神保町を訪ねたついでに同店を立ち寄ってみては。

最後に一言

建築に関するものは洋書、和書、雑誌を問わず、一般の書店では置いていない国内外の作品集などもふくめ古いものから新しいものまで取り揃えています。是非お立ち寄りください。・・・南洋堂書店、新宮さんありがとうございました!

取材日 2023.1.27 ライター:みずも

2023/01/02 17:52

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.12 高山本店さん

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年が明けて今年最初に紹介するのは高山本店さん。取材に応じてくれたのは四代目店主 高山肇さん(75)。創業は曾祖父の代で明治8年、九州の久留米にて。その後2代目となる祖父と明治27~28年に神保町に移り、昔から古書店街をまもる店のひとつだ。同店が入居しているビルは神保町駅を降りて靖国通り交差点近くの表通りで目に留まる神田古書センター。高山本店さんは北沢書店さんと一緒にこのビルの共同オーナーでもある。地上9階で各階には多くの古書店ほか、カレー好きの人は誰もが知っている名店「ボンディ」や気軽に落語が楽しめる「落語カフェ」といった様々な店舗が入居している。昭和53年に竣工。ビルが建った当時の背景に都営新宿線の開業と関東大震災後の老朽化した建物の建て替え気運があった事情も絡んでいる話を聞かせてくれた。高山さんは千代田区議会議員も務めていた街の顔役でもある。「22歳からこの仕事に就いてもう50年以上になる。その間神保町の街の様子も変わってきているけど、古書店で百数十件、よく守ってきている方だと思うけどね」と高山さん。同店が主に扱っている書籍は武道書、邦楽、料理の本だ。しかし自分のところにない本はお互い他の書店を紹介してお客さんをガッカリさせないようにしているのだそうだ。「そんなお客さん本位の姿勢が根強い支持を集めているのだと思う。お客さんも古本屋街を大事に考えてくれているのがありがたいし、本屋同士も仲がいいよ」と語る。

昔から神保町の街を見守って・・・

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取材の際、高山さんが提供してくれた2019年第13号の「神保町が好きだ!」は本の街神保町ができるまでの 150年の歩みがとてもコンパクトに紹介されている。それによると時の明治政府は近代国家となるために教育を重視、旗本神保長治の屋敷があったことにその名の由来があるここ神保町は江戸時代の武家屋敷や火除け地など広い土地が多かったため明治10年代を中心に官立である東京大学をはじめ私立の法政、専修、中央、明治、日本の各大学の開校が相次ぐ。その後学生街の発展とともに古書店、新刊書店が誕生し、さらに百貨店や旅館、映画館、カフェ、病院などの様々な施設が建ち並んでいた歴史があったことが記されている。また文学界とも縁が深く夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎、芥川龍之介など多くの巨匠が住み、訪れ、その名が作品の中に登場する街であったこと。日清戦争後には多くの中国人留学生が日本の大学で学ぶため、大学が集まるここ神保町界隈に住み始め、中国料理店もこの街の欠かせない“食”のひとつになったこと。昭和に入ってから学生向けのカフェー街が発展、ネオンとジャズに溢れた時期を経て今のさぼうる、ラドリオ、ミロンガなどといった喫茶文化のもとになっていったこと等など、そこに書かれているいろいろな軌跡が私たち多くのファンが惹かれる今の神保町の街の姿につながっているのだと思う。
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千代田区の人口統計をみると戦前は18~19万人の住民がいたが太平洋戦争により半減、戦後(1940年代半ば~1950年代半ば)9万人から12万人まで増加したあとは減少している。神保町で生まれ育った高山さんの記憶にある昔の街は、「観光地化している今とちがって田舎の繁華街のような雰囲気があった。狭い建物に店の家族や勤め人が住み込み、書店や印刷会社で働く職工、女工さんたちが風呂帰りですずらん通りの食堂に寄って夜の10時~11時くらいまで賑わっていた」・・・当時の生活感が伝わるエピソードだ。2000年には4万人を割り込むまでになったがその後は再び増加に転じ、2022年12月現在6.7万人。今後も人口は増加する見込みで2060年には9万人を超えると予測されている。ところで街の発展に欠かせない要素として交通網があげられる。神保町にはかつて明治の頃から靖国通り、白山通りに路面電車が通り、交通網が整備(最大時7路線)されて各地から多くの人が来て書店街の発展の要因にもなっていたという。戦後は地下鉄に置き換わり都営地下鉄三田線(昭和47年)、新宿線(同55年)、そして東京メトロ半蔵門線(平成元年)の3路線が集まる交通の要所となって更に人が集まるようになった。

神保町の街の歴史は復興の歴史でもある。明治、大正時代の度重なる大火、関東大震災、東京大空襲といった惨禍を幾度も潜り抜け、復興を繰り返しながら今日に至っている。東京大空襲の際は奇跡的に古書店街の中心(駿河台下から神保町交差点、更に九段下までの南側)は焼失を免れた。終戦後の新制大学の本の需要の高まり、旧家からの貴重本の放出、供給もあり戦後の経済発展とともに昭和初期の姿を残しながら本の街を再興していった。「これまで人口が減っても廃れていったということはない。うまく切り分けながら残るところは残り、住んでいる人ではなく、(ビアホールの)ランチョンや(中華料理の)新世界菜館など他からきて楽しめるような飲食の店も増えていった」とこの街を長く見てきた高山さんは語る。再開発で住む人も街の姿も変わるかも知れないが、それを新たな復興とするならば、これまで逞しく蘇ってきたように古き良きものを残しつつ新しい神保町の街の姿が現れるかも知れないし、多くの人がそれを期待しているに違いない。



最後に一言

「神保町は世界に誇れる街、これから更に建替えなければいけない時期が来て大変だと思うが地価が高いから売ってしまうとか損得だけでやっていくと街が残らない。今いる人たちが神保町という街に誇りもって次の時代に引き継ぐという信念、意気込みをもってつなげていってもらいたい」・・・高山本店、高山さんありがとうございました!

取材日 2022.12.28 ライター:みずも