2022/08/31 14:27
「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.8 東城書店さん
今回紹介するのは東城書店さん。創業は1975年。東城堅治さん(76)が同じ神保町で社会科学が専門の南海堂書店さんで6年間の住み込みの店員を経て独立開業した。取材に応じてくれたのは2代目を引継ぐべく修行中という神田古書店連盟の若手役員でもある東城ひろ子さん(35)。中国、韓国の古典籍(中国は清代以前、韓国では李朝期の本が中心)、和刻本漢籍、国書、中文書、中国関係洋装本を専門に扱っている。 顧客は国内だけでなく中国や欧米の大学図書館や教授など。発信元の中国が取引先となるのは何故か尋ねると、書籍は戦争や動乱(文化大革命など)によって流出する。中国には残っていないが日本に残っているものがあるのだという。書物の移動史についてある大学の教授によると中国の書籍(漢籍)は日本では明治後期から大正時代にかけて力をつけた財閥や新設の研究機関が美術品や漢籍な文化的価値の高い文物を海外から収集された。この時期、書物は中国から日本へと移動したとしている。丁度そのころ中国は清朝末期を迎え多くの文化財が海外に流出したという。そして現在は経済力をつけた中国に再び書籍のながれが向かっているのだそうだ。だが中国は10年くらい前まではバブルの様相でその当時は賑やかだったが、今はだいぶ落ち着いてきたと東城さん。このコロナ禍、書籍の動きにも影響がないか尋ねてみると、これまでもどうにか工面して大きく(物流に)変化はなかったそうである。開業してから目録販売で店売りをしたことはなく、専ら仕入れは東京古典会などの市場で行っている。中国にも物が送れなかったりしたが、最近ようやく発送が再開したと語る。
やはり本屋は神保町でなければ・・
これまでのインタビューでベテラン書店人の方々から国内の取引先(大学、図書館など)の厳しい現状を聞いてきた。個人レベルでも文化的価値のある高額な書籍は学生が購入するのは難しく、相手は大学の教員、研究員などに限られる。今回インタビューに応じてくれた東城さんら次を担う世代の人たちは先輩書店人たちからの期待もあるなかで古書店、神保町の在り方をいろいろ模索し続けているにちがいない。 やはり本屋を続けていくうえで神保町でなければいけないなと。お客さんも集まるし、本も集まるし毎日市場に行って何かしらあるので・・と東城さんは語ってくれた。これからどういう情報発信をしていくか?そうした問いにはなかなか一筋縄に答えは出てこない。コロナ禍、一進一退ではあるが少しずつ日常が戻ろうとしているなか、今年10月には神田古本まつりも前回の3年ぶりの開催に続き第62回(10/28-11/3)が行われることになっている。期間中は数十万人が訪れるといわれる東京の目玉イベントのひとつだ。今まで恒例のイベントとしてやれたことができなかったコロナ禍。飲食などはまだ規制があるだろうがなるべく例年に戻そうとしている。神保町の街に活気が戻ってくることでみんなの気持ちを前向きにし、少しずつ先の未来を明るくしてくれることを願ってやまない。期間中、東城さんたち連盟の役員は大忙しだ。
※写真は、
(上)清朝末期の子孫繁栄を描いた版画 (下)1550年頃の絵入りの漢籍
最後に一言
目録、通信販売専門ですが、店頭で商品をご覧いただくことも可能です。どうぞお気軽にお問い合わせください。
東城書店東城さん、ありがとうございました!
取材日 2022.8.19 ライター:みずも
2022/07/22 14:44
「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.7 一誠堂書店さん
今回紹介するのは一誠堂書店さん。取材に応じてくれたのは店主の酒井健彦さん(75)。
同書店は国文学、歴史、民俗、宗教、郷土史、美術。和本、洋書など文科系古文書全般を扱っている。創業は明治36年、祖父の宇吉氏が同郷の長岡出身の大橋氏が営む神保町の東京堂書店さんで3年の丁稚奉公の末、独立開業したという。神保町周辺はその昔武家屋敷で、その跡地に大学ができ、出版社、取次、書店などが集まったという経緯がある。先輩が使ったものを古書店が買い取ってまた次の学生が使う、リサイクルによって本が流通していった。一誠堂さんは本の街、神保町にあって創成期から書店を構えている老舗の一角だ。以前取材した沙羅書房さん、崇文荘書店さんはじめ神保町の表通りに店を構えるほかの書店も一誠堂書店さん出身者は多い。お店で扱う本について聞いてみる。日本に来たヨーロッパの宣教師などの外国人が異質の文化に接して驚き、日本の状況を書き記してローマ法王に報告したり本国に伝えた。それが桃山時代からあった。アメリカもまだ国として誕生していない頃の話だ。江戸時代にも鎖国で外国人が来てないようで実は来ていて、日本の情報が伝わっていた。そんな昔、西洋の人が日本をどう見ていたか知る興味深い書籍を取り揃えている、と酒井さん。
店の取引先は国内外の大学、図書館、美術館が多い。しかし今は高額で買い取ってくれるところが少なくなった。何より日本の研究機関などは海外に比べて予算がないのだという。海外ではハーバード大学でアジア関係図書館ができたが蔵書の2/3は中国のものが占めているという。日本研究が脚光を浴びることがあるとはいえ、かつては日本の図書が1/2を占めていた時に比べると、国の勢いというのは研究対象となる図書にも影響を与えてしまうのだ。また酒井さんは現在の供給過多になっている古書業界の流通事情について話してくれた。今でも大学の教授など個人のコレクターから本を仕入れているが、一方で買い手でもある。ところが本を買ってくれていた世代の先生が亡くなるとまたその先生の持っていた本が市場に出回るようになる。さらに戦後70年経って蔵書が十分溜まり、図書館も逆に本を売る時代。これが30年くらい前だったら次のコレクターが出て来たが、今はそれを買う人、フォローする人が減ってきているのだそうだ。研究機関などもネットと設備にお金をかけて本代には回らないという。
やはり本に興味をもってもらわないといけない。今の学校教育はますます実利思考で理系に比重がおかれてしまっている。もっと文系の教育を見直さないと、ものを読む力、考える力が衰退していってしまうのではないか?酒井さんは疑問を投げかける。リベラルアーツという文系、理系の区別をこえた教養教育の見直し論がある。今は問いを作ることや、話し合って思考の相互作用を起こすことを求める傾向があるというが、歴史、哲学、宗教などの教養はすぐに使えない知識であっても先の答えが見いだせないこれからの時代にこそ必要と言えるだろう。
次に神保町を担う人たちへのメッセージ
酒井さん自身も神保町で生まれ、学生時代は外で過ごしたというが長くこの町を見てきた一人だ。この10年、20年の間に表通りから古書店が減っている。確かに書店業界は苦戦しているが、活字の文化はなくならない。一歩裏通りのビルで事務所を借りて販売はインターネットを通してやっている新しい古書店が出てきている。廃業はあっても書店自体の件数はそれほど減ってないのではないか。さらに最近ではシェア型書店など棚主、お客のコミュニティづくりに注目した新しいながれもあるがこれからを見守る必要もあると思う。書店人同士では市場をとおして本の売り買いだけでなく人と人、世代の架け橋となって自然と交流が深まる場がある。ネット社会ともうまくつきあってやっていくことも大事。若い人がどんどん業界に出てきて、研鑽を積んで頑張ってくれれば良い芽が出てくるのではないか。
最後に一言
古書をより手にとりやすく、身近に感じてもらえるよう、ホームページの情報の充実を図っています。最近では映画、演劇関連も力をいれています。
一誠堂書店酒井さん、ありがとうございました!
ライター:みずも(2022.7.5取材)
2022/06/10 14:58
「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.6 沙羅書房さん
今回紹介するのは沙羅書房さん。取材に応じてくれたのは創業者で会長の初谷康夫さん(85)。同書店は書誌学、歴史学、民俗学などの和本、古地図の専門書店で、その蔵本は大学や国立博物館などに質の高い資料としておさめられている。またアイヌ、琉球関係資料も独立間もない頃に顧客から買受けた本が好評を博し、周りも扱いがなかったことからその後も同書店の品ぞろえの一角を占める。現在社長は息子の康行氏がつとめ、自身は会社のバックアップをしているという。初谷さんは栃木県佐野市の出身。昭和31年に神保町の老舗古書店である一誠堂書店さんに入社。当時は住み込みでの仕事だった。10年余りの修行を経て昭和42年に独立。沙羅という名前の由来は平家物語の“沙羅双樹”から。親戚が日本橋で戦前から営んでいた出版社だったその社名を独立を機に引き継いだそうだ。和本、古地図に興味をもったきっかけとなったのは一誠堂書店時代にお客様に届ける本に含まれていて、時代を経たものでも安価だったり新しいものでも高価だったりとその価値の値付けが洋装本より顕著なことに気付いたこと。また絵入りの和本に描かれている当時の風俗などから臨場感を味わうことができ、その鮮烈さに魅了されてその絵の面白さから古地図にも関心を深めたという。また外商の仕事を任されて貴重書を所持する個人や各種施設に幅広いネットワークが出来たことが今でも役立っていると振り返る。昭和40年初頭、まだ日本が高度経済成長期で大学進学率が3割にも満たなかった時代、団塊の世代の大学進学期と重なり大学が空前の新設ラッシュとなる。更に図書館や博物館などの開館と相まって和本や古地図が飛ぶように売れた。昭和30~40年代はまだコピー機が普及しておらず、研究のための本を必要とする研究者、時代小説を執筆するため大量の参考文献を必要とする作家からも多くの注文が集まった。しかしかつて盛況だった古書市場も平成に入りバブルが崩壊すると売上も激減、状況は一変する。それでも平成に入ってしばらくはヨーロッパなどの海外に年に2、3回ほど出向いた。実際に本を手にとって面白い買い付けも出来たという。だがネット普及後はロンドンやパリでも賑わいを見せていた本屋街が姿を消した。そして今や世界に類のない本屋街となった神田神保町。古本市は世界的にも有名で実に多くの人が集まり本をアピールする場となっている。大きな資本力のある本屋ではなく、小さな軒並み百軒以上集まっている本屋で、同じ形態で同じようなものを売っている店は一軒もない、独特の商売をやっている、それが強みと語る。沙羅書房さんでは年2回、古書目録を発行しているが、古書は題名だけ見て注文するのでなく、手に取ってじっくり内容などをチェックしたり、確かめながら買うのが本道。ネットでの手軽な販売を望まない。目録を通して、お客様からの反応を大切にしているという。
本屋に足を運ぶことの意味
初谷さんに次の世代に伝えたいことを聞いた。「とにかく学歴だけでない、教養を身につけてほしい。とくに古書を扱うには筆字、仮名文字など文字をきちんと読めるようにしないといけない。」初谷さんも初めは顧客に本を届けるだけで知識はなかったが、東京古典会大市の運営などを手伝ううちに少しずつ和本や古地図の知識を身につけ、独立後は誠心堂書店の義父から教わった。研究者の顧客のもとへ本を持って行った際に教わることもあったのだそうだ。見たものを記憶しておくことが重要になる。本屋を巡ると類書が手に取って見られる。それが大事なのだと。ネットで本を検索しても点でしか見られない。ネット情報はあくまでアンチョコ、表面的で深みがない。見比べることで身につく知識も多い。まさに自身の体験からだ。本屋はそういう貴重な場を提供してくれる。初谷さんの言う教養を身につけるとはインターネットなどでともすると手っ取り早く得られる知識や情報ではなく、身をもって経験知を積み上げることではないかと思えた。和本や古地図を扱うにはとにかく知識を積み重ねることが必要で奥が深い。実際に手に取って見ているからこそ蓄積される知識や経験があり、それこそが古書店の技術である。ひたすら知識を積み重ねることで正確な価値判断ができるようになり、市場で落札できるようになる。書誌的な面白さに加えて市会における入札の駆け引きもまたこの商売の醍醐味。善本を落札することができれば目録が充実し、店の個性ともなる、と初谷さん。まさに目利き、職人の世界だ。また古書店の仕事は作家との関わりも深く、独立前の一誠堂書店時代から松本清張氏、司馬遼太郎氏、井上靖氏など錚々たる作家との交流のことも同社の五十年誌に記されている。本に関する限り作家より古書店主のほうが詳しいということも珍しくないと作家の逢坂剛氏は寄稿している。作品を読むと自身が選んだ資料がどこに使われているかがよくわかるのだそうだ。「85歳、まだ現役です。市場にも週2回行ってます。」取材を振り返り初谷さんの言葉が印象に残った。
※写真は杉田玄白「解体新書」版本
※本稿はインタビューのほか「古書の道 沙羅書房 五十年誌」の内容を一部引用
最後に一言
日本史・地誌(アイヌ北方、琉球関係)、民俗学、考古学の学術書が充実。国文や地誌についての和本・江戸から明治期の古地図を揃えています
沙羅書房初谷さん、ありがとうございました!
ライター:みずも
2022/05/19 15:03
「ようこそ本の街、神保町へ!」 No5. 崇文荘書店さん
今回の取材は洋書の古書が専門の崇文荘書店さん。店主は阿部宣昭さん(78)。
設立は1941年6月、義父が開業。当時はまだ洋書を扱う書店は珍しかった。しかし間もなく太平洋戦争が始まり、敵国語を扱っていると憲兵の立ち入りもあった。同盟国のドイツ語、イタリア語の本と言って検閲をかわしたこともあったとか。(時代を感じさせるエピソードである)それでも当時こっそりと洋書をもとめる政府関係者や将校の姿もあったという。それから戦後、日本がアメリカの占領下となって学校でも英語を教えるようになってから洋書の需要が急速に増えた。また大学の図書館も洋書の一定所有割合を求められることになり追い風に。洋書の買い付けで海外まで行くようになったのは昭和50年に入ってから。まだ当時は1ドル360円の時代だ。それから更に1970~80年代にかけて海外への買い付けに行く機会も増えていったという。これまで得意先のほとんどが大学、博物館、美術館関係だったそうだ。しかし今はインターネットの普及と同時に一般の人たちがわかるようなテーマの書籍を扱うようにしたと阿部さん。10年くらい前から個人の顧客も増やそうと初版本、限定本、趣味の絵本、釣り、登山など神田に足をむけるような方向の広告をやっていこうと取り組んでいると語る。さらに国際古書籍商連盟の加盟メンバーである日本古書籍商協会(ABAJ)による国際稀覯本※フェアが2年に1度行われているフェアのことも案内してくれた。珍しいものがあればマスコミにも取り上げられる。しかし最近ではデジタル化の波でイギリスのオックスフォード、ケンブリッジでもアカデミックな本の出版が少なくなっていて、ますます本の値段が高くなっているという。本として持っていたいという人達との連携が必要。フェアや古本市を通じて数百円のものから数百万円のまで値段の安い高いに関わらず本を行きわたらせる活動をしている。それには東京だけの盛り上がりではだめで全国展開をしていかないといけないという。
街の文化を次の世代に継承していく
折しもつい先日のGWが終わるとともに神保町のシンボルのひとつであった三省堂本店がビル建替えのため3~4年ほど今の一丁目1番地の場所からしばらく姿を消すことになった。是非早く戻って来てほしい。新刊書店と古書店は密接な関係がある。新刊の出版がなければいずれ古書の供給も途絶えてしまう。そして阿部さんはこう続ける。ニューヨークやロンドン、パリなどこれまで海外の都市を見てきて世界の都市の中心地では日本でバブルが終わった頃からか、次第に書店の数が減ってきている。例えばロンドンでは都心の観光地化、地価が上がるにつれ書店も次第に少なくなってきた。戦前戦後を通じてここまで変わらず書店街の姿を残しているのは世界中を探してもこの神田神保町くらい。ロンドンの書店は殆ど賃貸でテナント料の高騰は店舗の撤退を余儀なくされる。一方神保町の軒並みの書店は自前でもっている老舗も多いのでそれが強みにもなっている。神田は江戸時代終わりころから本屋があったという。それから明治になって周りに大学ができた。東京大学発祥の地もここ神保町に近く(学士会館)、そして明大や日大、法政大などの大学もできて学者や学生も集まり本屋も段々増えてきた。百数十年の歴史をもっている。これまで先人たちが戦争中は本を疎開させたり、いろいろな困難を乗り越えてきた。今もコロナ禍で大変な時期だが、文化の発祥地としてどう街をまもっていくか、創意工夫が問われている。
古書店連盟、古書店組合神田支部でも地図をつくったり古本祭りを開いたり、組合でやる即売会の古典会や明治古典会などに変わった本、珍しい本が出ればできるだけマスコミにも宣伝して取り上げてもらっている。それに東京や千代田区との行政との関わりは何より欠かせない。今は戦後の3代目の人たちが頑張っていて、優秀な人たちもいっぱいいる。承継の問題など不安もあるが頼もしく思っていると後進へエールを送ってくれた。
※稀覯(きこう)本・・・世間に流通するのがまれで珍重される本
※手紙の写真はアインシュタインが日本滞在中に息子にあてたもの(出展品)
最後に一言
1階は学術書、2階は趣味関係(文学から子供向けなど幅広く)や稀覯本まで扱っています。
崇文荘書店阿部さん、ありがとうございました!
ライター:みずも
2022/04/05 15:07
「ようこそ本の街、神保町へ!」 No4. 山吹書房さん
今回の取材は山吹書房さん。店長は松井芳之さん(43)。
2年ぶりの古本祭りが終わったばかりの取材のアポイントに応じてくれた。店は平成29年に開業。郷土史を中心とした主に歴史関係を扱う書店を営んでいる。地域色が強い、人名が入ったものを仕入れているという。店に陳列される本はジャンル別ではなく地域順、都道府県順にごとになっている。ネット関係の注文は年齢、性別問わないが顧客は地方の方からの注文割合が多い。またお昼時には近くに務めているサラリーマンがふらりと店を訪れるという。店長自身も文学作品は読むほうではなく、気になったことを調べるツールとして本を読んでいるという。歴史や旅行が趣味で郷土史を中心とした店のラインナップに。ところで古書店の本棚は店主の個性が色濃く現れる。ある人いわく、本には買い方があるそうだ。読み通す本、最後まで読まない本、まったく読まない本。はじめから読むことを前提としないで買う本もある。筆者も仕事柄、年間たくさんの本を購入するが最初から最後まで読み通す本は恥ずかしながらほとんどない。それでもその本を読まずに持っているだけで満たされているという感覚がどこか本好きの人にはあるのではないかと思う。本に対する向き合い方は人それぞれなのだ
久しぶりの古本祭りを終えて
コロナの影響でこれまでに開催されていたいろいろなイベントが中止に追い込まれた。そのような中、今年は古本祭りが3月17日から21日まで2年ぶりに開催された。期間中の天気のほうは今ひとつではあったが事前の予報よりはまだ良かったといえる。雨の日以外は靖国通り沿いの書店には道行く多くの人が足を止めて見入っているコロナ前では当たり前であった久しぶりに賑わう光景がそこにあった。それだけこの神保町の古本祭りは本好きの人には待ちかねたイベントだったにちがいない。 現在連盟の役員をつとめているという松井氏。今回のイベントはなかなか状況が読めず、開催決定の告知を十分にできなかった中でどれだけの方に来ていただけるか心配していたが、ふたを開けてみると思った以上に賑わっていたのでほっとしたと語ってくれた。こうしたイベントは連盟の書店のみなさんはじめ神保町の街を大切にする一人ひとりのスタッフの皆さんの支えによって続いていることを私たちは忘れないでおきたい。今回久しぶりの古本祭りが開催されたことは明るいニュース。早くふつうの日常が戻ってくれることを多くの神保町ファンと一緒に祈るばかりだ。
最後に一言
自分の出身地の本や、興味があって面白そうな本を手に取って見に来てください。
山吹書房松井さん、ありがとうございました!
ライター:みずも