2009/01/05 10:13

村上春樹『ノルウェイの森』(その4)

あけましておめでとうございます。今年もボツボツ更新していきますので、お付き合いください。

前回、「僕」と直子の散歩では、「正しさ」から疎外された「僕」が、「正しさ」の象徴である直子を追いかけている、という解釈をしました。そして、そのルート上で言及される地名にも意味がある、というようなことも書きました。その地名を確認しておきましょう。

中央線で偶然再開した「僕」と直子は、四ッ谷で電車を降り、外堀沿いに飯田橋へ。飯田橋から九段下に出て、靖国通りを直進。神保町を通り、駿河台の坂を上がって、お茶ノ水橋を渡ると本郷通り。あとはそのまま駒込駅へ向かいます。

佐藤幹夫さんは、『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』(PHP新書)という本の中で、この散歩コースが、三島由紀夫にゆかりの場所めぐりだと指摘しています。言われてみると、四ッ谷(三島の生家)、市ヶ谷(自決場所=防衛庁)、靖国神社、本郷(三島の母校=東大)と、三島にゆかりのある場所が揃います。

この佐藤幹夫さんの本は、村上春樹の小説を、「三島への挑戦」という観点から読み解いていて示唆に富むのですが――ちなみに、佐藤さんによれば、『ノルウェイの森』は『春の雪』への挑戦です。なるほど、ある種の「美学」という点ではよく似ています。『春の雪』もぜひご一読下さい――しかし正攻法に解釈するなら、この散歩コースは、60年代後半から70年にかけての「学生運動」の故地めぐりです。

ひとつの根拠として指摘したいのは、「僕」と直子の散歩が行われたのが、19685月から(直子が失踪する)翌年4月までである、という点です(毎回同じルートでないかもしれませんが、テキストにあえて記されたのは、この「四ッ谷―飯田橋―神保町―お茶の水―本郷―駒込」というコースでした)。この時期、このコース上で、「日大闘争」「神田解放区(カルチェラタン)闘争」「東大闘争」など、歴史的に有名な「事件」が起こります(日大、東大以外でも、上智大や法政大、明大、中大、東京医科歯科大など、コース上に点在する大学は、「学生運動」が盛んだったところです)。

次回は、『ノルウェイの森』と「学生運動」の関係について考えます。

深津