2022/01/15 16:11

「ようこそ本の街、神保町へ!」

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今年最初の取材は神田古書店連盟会長、魚山堂書店の伊藤俊一さん(65)。魚山という名前の由来は仏教の称名の流派なのだそうだ。開業はバブルがはじけた1991年に品川からスタート。その後神保町に移ってからは20年位になる。なぜ活字の本ではなく、写真の本を中心に取り扱うことにしたかたずねると、「人のやってないことをやろう、ライバルもいなくて写真を扱っているところは少なく、面白かったから。」おもな得意客は外国人だったという。実際店で扱っている商品でひとつ見せてもらったのが戦時中のプロパガンダ誌。それは当時の軍国主義だった日本がやっていたことを正当化するもので、戦争体験のない私たちにも当時の世界で起こっていた生々しい出来事として写真と共に目の前に飛び込んでくる。戦争からはじまり近現代史に通じていく。他にもファインアートに官能的な写真などジャンルは様々でそこに面白さがあるとも語ってくれた。活字の本は読んで咀嚼し私たちの感情にせまってくるが、写真の本はそれを見た瞬間に私たちの直観に訴えてくるという違いにあらためて気づかされた。店の壁にかけてある一枚の写真からでもその人がいったいどんな人生を歩んできたのか、そんな想像を駆り立ててくれるのだ。

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―神保町の書店街とこれから

ここ20年を振り返ってみると商品にも波があり、今は中国ものが幅を利かせているが当時写真は海外の需要があった。だがリーマンショック以降は大分様子が変わり、本屋自体が正直厳しくなったと語る。それこそ本屋に行列ができるなど聞いたことがないと伊藤氏。昭和から平成、そして令和と私たちは生きている。時代のながれに置き去りにされようとしているものがある一方で、最近ではレコードや昭和のレトロな雰囲気の喫茶店など古き良き時代に憧れて若い客層が列をつくり、息を吹き返そうとしているところもある。なんとも皮肉な現象だ。

ここ神田神保町でも10年で新規に開業して活躍している人はそう多くはなのだそうだ。とにかく、若い人が育ってきていない。今はネットで本でも何でも買えてしまう時代。その影響は確かにある。このままだと神保町の顔である書店街の火が消えかねない。折しも神保町のひとつのシンボルである岩波ホールがコロナの影響で閉館が決まったという報道があったばかり。多くの映画ファンやこの街をこよなく愛する人たちにはどれだけ大きなショックだったことか。

本屋だけでは太刀打ちできない。しかしここ神保町にはカレー屋やラーメン屋など数多くの飲食店があり、そうした異なる業種とのコラボレーションは十分考えられる。また神保町シアターといった若者も引きつけられる施設もあるのだ。さらに文化の保護に手厚い千代田区をバックに、区の商店街の活性化を研究している大学のゼミもあり、若者との接点をつくれる機会はありそうだ。なお神田古書店連盟では BOOKTOWNじんぼう (jimbou.info)というネット発信も行っている。書店の街、神保町には底力がまだまだたくさんある。

―最後に一言

一人でも多くの人に神保町に来てもらいたい・・・街の灯を消さないよう、その言葉は神保町を愛する人すべての気持ちを表していると思う。

魚山堂書店 伊藤さん、ありがとうございました。これからも神保町の顔、書店のみなさんを応援していきます!

 

取材日 2022.1.13 ライター:みずも