編集室だより

「ようこそ本の街、神保町へ!」 No.12 高山本店さん

2023年 1月 2日by  みずも
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年が明けて今年最初に紹介するのは高山本店さん。取材に応じてくれたのは四代目店主 高山肇さん(75)。創業は曾祖父の代で明治8年、九州の久留米にて。その後2代目となる祖父と明治27~28年に神保町に移り、昔から古書店街をまもる店のひとつだ。同店が入居しているビルは神保町駅を降りて靖国通り交差点近くの表通りで目に留まる神田古書センター。高山本店さんは北沢書店さんと一緒にこのビルの共同オーナーでもある。地上9階で各階には多くの古書店ほか、カレー好きの人は誰もが知っている名店「ボンディ」や気軽に落語が楽しめる「落語カフェ」といった様々な店舗が入居している。昭和53年に竣工。ビルが建った当時の背景に都営新宿線の開業と関東大震災後の老朽化した建物の建て替え気運があった事情も絡んでいる話を聞かせてくれた。高山さんは千代田区議会議員も務めていた街の顔役でもある。「22歳からこの仕事に就いてもう50年以上になる。その間神保町の街の様子も変わってきているけど、古書店で百数十件、よく守ってきている方だと思うけどね」と高山さん。同店が主に扱っている書籍は武道書、邦楽、料理の本だ。しかし自分のところにない本はお互い他の書店を紹介してお客さんをガッカリさせないようにしているのだそうだ。「そんなお客さん本位の姿勢が根強い支持を集めているのだと思う。お客さんも古本屋街を大事に考えてくれているのがありがたいし、本屋同士も仲がいいよ」と語る。

昔から神保町の街を見守って・・・

取材の際、高山さんが提供してくれた2019年第13号の「神保町が好きだ!」は本の街神保町ができるまでの 150年の歩みがとてもコンパクトに紹介されている。それによると時の明治政府は近代国家となるために教育を重視、旗本神保長治の屋敷があったことにその名の由来があるここ神保町は江戸時代の武家屋敷や火除け地など広い土地が多かったため明治10年代を中心に官立である東京大学をはじめ私立の法政、専修、中央、明治、日本の各大学の開校が相次ぐ。その後学生街の発展とともに古書店、新刊書店が誕生し、さらに百貨店や旅館、映画館、カフェ、病院などの様々な施設が建ち並んでいた歴史があったことが記されている。また文学界とも縁が深く夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎、芥川龍之介など多くの巨匠が住み、訪れ、その名が作品の中に登場する街であったこと。日清戦争後には多くの中国人留学生が日本の大学で学ぶため、大学が集まるここ神保町界隈に住み始め、中国料理店もこの街の欠かせない“食”のひとつになったこと。昭和に入ってから学生向けのカフェー街が発展、ネオンとジャズに溢れた時期を経て今のさぼうる、ラドリオ、ミロンガなどといった喫茶文化のもとになっていったこと等など、そこに書かれているいろいろな軌跡が私たち多くのファンが惹かれる今の神保町の街の姿につながっているのだと思う。

千代田区の人口統計をみると戦前は18~19万人の住民がいたが太平洋戦争により半減、戦後(1940年代半ば~1950年代半ば)9万人から12万人まで増加したあとは減少している。神保町で生まれ育った高山さんの記憶にある昔の街は、「観光地化している今とちがって田舎の繁華街のような雰囲気があった。狭い建物に店の家族や勤め人が住み込み、書店や印刷会社で働く職工、女工さんたちが風呂帰りですずらん通りの食堂に寄って夜の10時~11時くらいまで賑わっていた」・・・当時の生活感が伝わるエピソードだ。2000年には4万人を割り込むまでになったがその後は再び増加に転じ、2022年12月現在6.7万人。今後も人口は増加する見込みで2060年には9万人を超えると予測されている。ところで街の発展に欠かせない要素として交通網があげられる。神保町にはかつて明治の頃から靖国通り、白山通りに路面電車が通り、交通網が整備(最大時7路線)されて各地から多くの人が来て書店街の発展の要因にもなっていたという。戦後は地下鉄に置き換わり都営地下鉄三田線(昭和47年)、新宿線(同55年)、そして東京メトロ半蔵門線(平成元年)の3路線が集まる交通の要所となって更に人が集まるようになった。

神保町の街の歴史は復興の歴史でもある。明治、大正時代の度重なる大火、関東大震災、東京大空襲といった惨禍を幾度も潜り抜け、復興を繰り返しながら今日に至っている。東京大空襲の際は奇跡的に古書店街の中心(駿河台下から神保町交差点、更に九段下までの南側)は焼失を免れた。終戦後の新制大学の本の需要の高まり、旧家からの貴重本の放出、供給もあり戦後の経済発展とともに昭和初期の姿を残しながら本の街を再興していった。「これまで人口が減っても廃れていったということはない。うまく切り分けながら残るところは残り、住んでいる人ではなく、(ビアホールの)ランチョンや(中華料理の)新世界菜館など他からきて楽しめるような飲食の店も増えていった」とこの街を長く見てきた高山さんは語る。再開発で住む人も街の姿も変わるかも知れないが、それを新たな復興とするならば、これまで逞しく蘇ってきたように古き良きものを残しつつ新しい神保町の街の姿が現れるかも知れないし、多くの人がそれを期待しているに違いない。

.最後に一言

「神保町は世界に誇れる街、これから更に建替えなければいけない時期が来て大変だと思うが地価が高いから売ってしまうとか損得だけでやっていくと街が残らない。今いる人たちが神保町という街に誇りもって次の時代に引き継ぐという信念、意気込みをもってつなげていってもらいたい」・・・高山本店、高山さんありがとうございました!

取材日 2022.12.28 ライター:みずも

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