編集室だより

坊っちゃん

2016年 1月 7日by  島田 敏樹
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1月3日フジテレビで、嵐の二宮さん主演の坊っちゃんを見て、坊っちゃんを読み直してみたくなり、岩波ブックセンターで、「坊っちゃん」を買って読みました。

坊っちゃんの作者夏目漱石は、岩波書店の創業者岩波茂雄さんは関係があります。大正2年(1913年)古本屋として創業した岩波書店は、大正3年、別の出版社から出版していた夏目漱石に、「心」を出版させてもらったことから、出版業を始めていきました。夏目漱石の死後、その全集は岩波書店で出版されます。

神田神保町創業の岩波書店だけでなく、夏目漱石は神保町と縁がありました。

夏目漱石は、猿楽町の錦華小学校を卒業します。
錦華小学校は、小学校の統合により、現在、千代田区立御茶ノ水小学校になりました。御茶ノ水小学校の前には、夏目漱石の碑があります。

明治17年(1884年)には、夏目漱石は、神田錦町3丁目の大学予備門(のちの東大)に入学しました。
大学予備門が本郷に移されたその跡地には、現在旧7帝大の同窓会の会館である学士会館が建てられています。

入学時、夏目漱石は、猿楽町に下宿していたことから、坊っちゃんの主人公は、猿楽町に近い、小川町に下宿し、当時小川町に間借りしていた東京物理学校(現東京理科大)に入学する設定になっています。

東京理科大は現在神楽坂に移り、その中にある近代科学資料館が、東京物理学校時代の建物です。
中に入ると、坊っちゃんとマドンナちゃんがイメージキャラクターとして、説明していました。東京物理学校を卒業するのは難しく入学者の1割にも満たなかったそうです。
物理学校を3年で卒業できた坊っちゃんは秀才だったと思われます。

物理学校を卒業した坊っちゃんが、かわいがってもらっていた女中清と別れて、中学教員として松山に赴任します。

松山に着くと、主任の山嵐に下宿を紹介してもらった上、氷水をおごってもらい親しくなります。

中学校の教壇に立った坊っちゃんは、天婦羅蕎麦や団子を食べたことを生徒にからかわれ、宿直の日には、寝床にイナゴを入れる等のいたずらをされました。
それは山嵐が生徒を煽動してやらしていると釣りに行ったとき、赤シャツから示唆され、山嵐とけんかします。

教頭の赤シャツが、同僚のうらなりの婚約者のマドンナに横恋慕して、うらなりを転勤させられたこと腹を立てた坊っちゃんは、うらなりのために談判に行った山嵐と仲直りをし、一緒に芸者遊びの帰りの赤シャツと腰巾着の野太鼓を待伏せし懲らしめ中学を辞めて、汽船で神戸に行き、神戸から新橋まで汽車にのり、女中の清の待つ東京に帰ります。

坊っちゃんに赤シャツを懲らしめさせたのは、夏目漱石も洋行帰りですが、裏表がないことを粋とした江戸っ子だったことから、裏と表を使い分ける西洋かぶれの赤シャツとは、相容れなかったのではないでしょうか。
坊っちゃんが学んだ神田神保町は、明治維新後、西洋の新しい学問を学ぶ大学の街でしたが、江戸を否定したわけではなく、江戸っ子の心をもって、西洋文明を学んでいたのではないでしょうか。

「坊っちゃん」夏目漱石作 岩波書店

神保町書店にて販売中

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