編集室だより

エリセーエフ

2019年 4月 7日by  島田 敏樹
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靖国通りを九段下に向かって歩いてると、神田古書センターにワゴンがあります。

ワゴンの中に、中公新書「エリセーエフの生涯」倉田保雄著が、並んでいました。

昔、神保町シアターで、「ウォーナーの謎のリスト」という映画をやっていました。今ではDVDも出ています。映画を観に行ったとき、初日の舞台あいさつで、八木書店の八木壮一さんが、神保町を戦災を免れたのはセルゲイ・エリセーエフがマッカーサーに進言したことによるのだと神保町では信じられていましたが、「そんなはずはないよ」という人もあり、「本当はどうなの」と映画監督の金高健二さんにお聞きになって、映画をつくられたといってました。

エリセーエフが本当に進言したのか、その進言が戦火を免れ神保町が救われたのか、興味があったので「エリセーエフの生涯」を読んでみました。     

パリ万国博で日本文化が気に入ったエリセーエフは日本に留学し、帝国大学に入り、小宮豊隆と夏目漱石の木曜会に通うなどして、日本の国文学を学びます。

と同時に、江戸っ子の文化に興味を持ちました。

寄席に通い詰めて、同じ落語を3回聞き、江戸弁をマスターし、

江戸っ子になりきろうと、浴衣に下駄をはいて、銭湯にかよい、あつい朝湯につかって、下町の江戸っ子たちと手拭いを頭にのせ浪花節をうなるのを聞き、

新橋、柳橋、赤坂の花柳界に行き、江戸っ子の粋を学びます。

ロシアの帰ったエリセーエフはロシア革命に遭い、全財産を没収され、資産家であることを理由に投獄され、フランスに亡命しました。                        フランスに亡命した後、アメリカに渡って。ハーバード大学で日本の文学等を教えます。この間太平洋戦争が起こり、ハーバード大学に人脈をつかってマッカーサーに神保町に爆撃しないよう進言したといわれています。

最期はアメリカ社会には、馴染めずハーバード大学を辞め,、フランスに帰り、生涯を終えました。

エリセーエフはアメリカ社会を批判しています。        アメリカンドリームといい、高い地位につきお金持ちになって大きい家に住むことが、ハッピ―だとアメリカ人はよくいいますが、お金持ちになることが、必ずしもハーピーとは限らないと。

日本に来て江戸っ子の文化を学んだエリセーエフはそう感じたのではないでしょうか、                 落語の江戸っ子は、狭い長屋に住み、お風呂も共同浴場、                           高い地位にもなく、「宵越しの金はもたない」といってお金持ちでもありませんが、                       味噌、醤油など物がなければ隣からかり、余ったものはお裾分け、                            そこそこハッピーといえるのではないでしょうか

エリーエフが進言して神保町を救ったのかどうか本当のことはわかりません。

資産家であるエリセーエフにとって、ロシア革命でソ連となった国は自分の祖国とはいえなくなりました。

自分は何者か問われたとき

三代続いていなくても、江戸っ子

江戸っ子である自分は、神田に爆撃して、江戸っ子を絶滅させることはできなかったのではないでしょうか。

晩年、インタビューをうけたとき

流暢な江戸弁をしゃべり、

若いとき「いろいろ道楽してきましたが、屋根屋(バクチの隠語)のまねだけはいたしませんでした。」

今では使わなくなった江戸弁で語っていたそうです。


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