編集室だより

「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」松岡圭祐著

2018年 2月 4日by  島田 敏樹
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先日は、4年ぶりの大雪が降り、神保町もすっかり雪化粧でした。早めに出たのにかかわらず、電車は遅れ駅のホームはすごい行列で、何時電車に乗れるかわからないくらいです。

周りに周囲に迷惑にならないように、神保町の三省堂書店で買った松岡圭祐さんの著書「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」を読みました。
松岡圭祐さんは、綾瀬はるかさんが主演で映画化された「万能鑑定士Q」シリーズや北川景子さん主演でテレビドラマ化された「探偵の探偵」の著者です。

「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」の物語は「最後の事件」で、モリアーティ教授とライヘンバッハの滝に落ち、「空き家事件」で復帰するまでの3年間、シャーロック・ホームズは日本に来て、伊藤博文と大津事件の謎を解決するというお話しです。

幕末、22歳の伊藤博文は留学のためロンドンに密航していました。
ロンドンの街を歩いていると10歳のシャーロック・ホームズが露天商に絡まれているのを助けます。

そのとき、攘夷を決行するため長州藩が米仏蘭艦隊に砲撃を始めたというニュースを井上馨から伝えられました。西洋の進んだ文明を知った伊藤博文は負ける戦争をやめるように説得するため日本に戻ります。

数年後、明治維新となり、江戸幕府を倒した長州藩の伊藤博文は新政府の要職に着きました。
薩摩藩長州藩中心の新政府に対して、国会の開設を要求する自由民権運動がおこります。
新政府は国会開設を約束し、国会開設の前提となる憲法調査のため伊藤博文は西洋に派遣されました。
物語では、西洋に派遣された伊藤博文は、ロンドンにも行き、シャーロック・ホームズの事務所を訪れます。大人になったシャーロック・ホームズは伊藤博文が若いころ攘夷を決行して英国公使館焼打ち事件にかかわりあったことを知り、冷たく追い払います。

帰国した伊藤博文は、明治22年(1889年)憲法を制定し、国会を開設しました。

明治24年(1991年)訪日していたロシア皇太子を警護していた巡査が切りつけ負傷を負わせる事件が起こりました。(大津事件)
政府は、ロシア政府を配慮して、犯人の巡査を死刑にするよう裁判所に圧力をかけますが、大審院長児島惟謙はこれに屈せず、司法権の独立を護り、無期懲役の判決を下しました。

皇太子を負傷させられたロシア政府は一端寛大な態度を見せ治まるかと思われましたが、態度を覆します。

その頃、モリアーティ教授とラインバッハの滝から落ちたシャーロック・ホームズは、生き残り、モリアーティ教授の残党から逃れるため、死を偽装し、兄のマイクラフトの手配により、日本にやってきました。

ロシア政府が態度を覆したのはなぜか。
シャーロック・ホームズは、伊藤博文と謎に挑みます。

「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」松岡圭祐著 講談社

神保町書店にて、販売中です。

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