編集室だより

学士会館―新島穣生誕の地(碑前祭)

2017年 2月 12日by  島田 敏樹
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2月12日(日)新島穣の誕生日です。新島穣は、数年前NHK大河ドラマの「八重の桜」の新島八重の夫です。神田錦町3丁目に生まれ、後に同志社大学を創立しました。
そのため、神田錦町3丁目にある学士会館の前には碑があり、同志社大学は毎年新島穣の誕生日の2月12日に学士会館の碑の前で碑前祭を行っています。
碑前祭に行ってみると、学士会館の碑の前には同志社大学の卒業生等ですごい人でした。

新島穣は、上州安中藩江戸上屋敷、現在の神田錦町3丁目で天保14年(1843年)に生まれます。15歳の1958年幕府が日米修好通商条約を締結し開国し、また新島穣は17歳で幕府の海軍操練所に入る等したこともあり、海外に行くことの興味を持つようになりました。
海外へ脱出しようと函館に行きます。そのとき、函館では神田駿河台でニコライ堂を造ったニコライが布教をしていました。新島穣はニコライの家で日本語と日本文化を教えに行き、海外脱出の機会を伺い、坂本龍馬のいとこ沢辺琢磨が助けをかりて、アメリカに留学します。
新島穣のアメリカ留学中に明治維新を迎えました。

碑前祭では、まず讃美歌を歌いました。
同志社大学はキリスト教精神でできた大学です。
碑前祭が行われた学士会館は、東京大学発祥の地という碑もありました。
明治維新後の開国により、西洋と交易するようになり、学問の中心は漢学から洋学になります。
漢方の医学館は明治2年に、儒教の昌平学校は明治4年に廃止されます。
代りに洋学校の開成所と西洋医学所を母体とし東京大学が発祥しました。
日本は儒教的な道徳観は失われ、西洋の物質文明が入ってきます。

そんな明治維新の新しい国家について、新島穣はアメリカで演説します。
「日本は革命により、新しい政府になりましたが、わが同胞の幸福は物質文明の進歩によってもたらせられるものでありません。」
「自分は日本でキリスト教主義の学校をつくるつもりです。その資金が得られないと日本に帰れない。」と
それを聞いたアメリカの聴衆は感銘を受け、演説が終わった後、次々と寄付を申し出て立ち上がりました。

当時のアメリカは善意に満ち溢れていました。

明治7年に帰国した新島穣は、翌年キリスト教主義の学校同志社大学の前身同志社英大学を創立します。

碑前祭で碑の前で、同志社大学の学長がお話しになられていました。
建学の精神の「良心」教育を受け継いでいきますと

旧博報堂本社ビルの公園も新島穣にちなんで幼名の七五三太公園と名づけられています。

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