編集室だより

湯島聖堂

2017年 1月 8日by  島田 敏樹
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神田明神に初詣に行く途中の聖橋を渡ったところに湯島聖堂がありました。
外堀通りから、正門を通って中に入ることにしました。

奈良時代は、平城京に東大寺等の大寺、各地に国分寺を建て、仏教を国家鎮護に利用しますが、
江戸時代は、儒教を武士の封建時代を支えるために利用します。
徳川綱吉が、湯島に孔子の聖堂を建て、附属の官立の学問所を設け、幕臣の子弟や諸藩の者、浪人などに儒教を学ばせました。

正門から仰高門から中に入ると、孔子銅像がありました。孔子銅像は孔子像としては世界最大の銅像です。

中国の春秋戦国時代に、国が争い各国の君主は競い合って国を強く豊かにするため知識のある人材を求めます。
そのため、君主に政策を提案して諸国を旅する学者学派、諸子百家が登場しました。
諸子百家の儒教の創始者として孔子が出てくるのです。

儒教は、子は親を敬い、家臣は主君を敬い、主君は仁と徳に基づいて政治を行う。江戸の武士の封建制度を支える学問でした。

孔子像から、先に進むと入徳門があり、入徳門から中に入ると水屋がありました。
儒教は日本では宗教というよりは学問として紹介されますが、
儒教の創始者孔子は聖人として、その霊を祀る建物である孔子庵に入るには水屋で浄める必要があります。

湯島聖堂附属の官立の学問所は、明治維新後、新政府が接収し、昌平学校となり、大学大学校へとなります。

そのため日本大学発祥の地とされています。

入徳門から中に入ると階段があり、階段を上ると杏壇門があります。

杏壇門を入ると、受験シーズンということもあり、合格祈願の受験生等がいました。 その先に大成殿が見えました。

大成殿は、御賽銭箱が置いてあり、外から拝むことができますが、中にも入ることができ、中には孔子像の他、孟子・顔子・曽子・子思の四賢人像があります。
合格祈願の鉛筆等も売っていました。

論語素読等の文化講座のパンフレットが置いてありました。
湯島聖堂の附属の大学は、明治4年に廃止されますが、文化講座として続いているそうです。

大成殿を出て、聖橋門から、聖橋に出てました。

明治維新後、封建制は廃止され、神保町に大学をつくられ、学問の中心が儒教から洋学になり、西洋の平等自由個人主義の考え方が輸入されましたが、

人に対する思いやり(仁)、損得を考えず正しいことを行う(義)、人の信頼を守る(信)といった武士の世から続く儒教的な考え方は現代でも大切なものではないでしょうか。

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