編集室だより

ぽるとがる酒場―ピリピリ

2016年 12月 17日by  島田 敏樹
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駿河台の太田姫神社の傍に、ぽるとがる酒場―ピリピリと書かれたお店があります。
神田教会のザビエルの遺骨を見て、はるばるポルトガルより布教のためやってきて、異郷の地で命を落としたザビエル思い、ポルトガル料理を食べに行きました。

中に入ると、女性が二人厨房にいました。

お店は、姉妹二人でやられていて、妹さんが厨房を担当しています。 カウンター席に案内され、お姉さんがメニューを持ってきてくれました。

ポルトガル料理には、あまりなじみがないので、どういう料理があるのか聞いてみました。
アロシュ・デ・ボルボという蛸の炊き込みご飯がありましたが、これはスペインのパエリアとリゾットの中間みたいなもので、ポルトガルではタコの他にいろんな魚貝類を入れて食べるそうです。
また、鱈の消費量が多いので、バカリャウ(干し鱈)のコロッケが定番だそうです。
鰯等も食べられますが、魚ばかりでなく、肉も食べられ、若鶏の炭火焼きも食べられるそうです。
アディラワインと自家製ピクルス、えびのガーリックオイル煮、パンを頼みました。

ザビエルが、日本に来たのはポルトガルの大航海時代の主役の時代です。
大航海時代はエンリケ航海王子が、アラビア人から学んだ航海術で大西洋から、インドを目指して航路を見出そうとしたところから、始まりました。
そしてアフリカの南端の喜望峰に達し、ヴァスコ・ダ・ガマにより、インド西南海岸に到達します。
このことにより、シルクロードを通ってヨーロッパに運ばれていたインドの香辛料が、大西洋を航路として運ばれるようになり、これまで、漁村にすぎなかったポルトガルは商業の中心として栄えます。

お姉さんが、アディラワインとピスタチオを持ってきてくれました。
アディラワインのアディラは大西洋南の島でエンリケ航海王子が入植を開始して、大航海時代の第一歩を踏み出した島です。

ポルトガルは、インドについで明とも交易するようになりました。さらにインドのゴア、中国のマカオを拠点として、日本の種子島に漂着し、鉄砲を伝え、日本とも交易するようになります。南蛮文化として日本に大きな影響を与えました。
その後、植民地を広げすぎたポルトガルは衰退していき、スペインに併合されます。

鎖国していた日本は明治維新後開国し、西洋文化を学ぶため神保町に大学をつくるのですが、ポルトガルはその主役ではありませんでした。

暫くして、ピクルスとえびのガーリック煮とパンを持ってきてくれます。えびとガーリックは合い、えびは皮まで食べてしまいました。

食べ終わり会計を済まして外に出ると、

5月の太田姫神社のお祭りの時は、青々としていた銀杏の木は、黄色に色づいていました。

12月は忘年会のシーズンです。大航海時代の主役として、日本にやってきたポルトガルを思い、「ぽるとがる酒場ピリピリ」で忘年会を開かれてはいかがでしょうか。

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