編集室だより

神田教会―フランシスコ―ザビエルの遺骨

2016年 12月 6日by  島田 敏樹
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錦華通りを真直ぐに行ったところに神田教会というカトリック教会があります。

聖堂は日本にキリスト教を伝来した聖フランシスコ―ザビエルを捧げる聖堂として、その遺骨が安置されています。

ヨーロッパでプロテスタントが台頭し始め、危機を感じたカトリックが世界各地に布教を広めるためイエズス会を結成します。イエズス会のザビエルは、ポルトガルから、布教のため戦国時代の日本にやってきました。
ザビエルの人柄と布教のため命懸けで遠方から船に乗って異郷の地にやってきた信仰心に心を打たれ信者がどんどん広まっていきます。
更に信者を増やそうと、中国を目指し上川島に行き、病で命を落としました。遺体はインドのゴアに安置され、10年に一度公開され分骨もされます。2000年にその遺骨が、神田教会に安置されるようになりました。

大学受験の時、年号を語呂合わせで覚えました。キリスト教伝来の年号は「以後よく(1549年)なった」と覚えます。キリスト教はザビエルの伝来後、語呂合わせのようには、必ずしもよくはなりませんでした。

ザビエルの死後、信長・秀吉によって天下統一され戦国時代は終わり、その間ポルトガルとの交易とともにキリスト教は広まっていきますが、事件が起きます。(サン・フェリペ号事件)
ポルトガルの後を追ってスペインも日本に来ます。そのスペインの船が遭難に遭い聴取した際、水先案内人が「スペインが広大な領土を獲得できたのは、キリスト教の布教と宣教師のおかげ」と発言「日本もいずれスペインの植民地になるだろう」と挑発しました。

それを聞いた秀吉はキリスト教を禁止します。
秀吉の次の徳川の時代に、新たに台頭してきたプロテスタントの国オランダが日本に来て交易します。オランダは、カトリックの国のスペイン、ポルトガルの植民地政策の危険性を進言し、キリスト教の禁止いっそう強められました。
明治維新後も、キリスト教は禁止されていたため、神田教会の前身はラテン学校として始められます。
明治6年キリスト教の禁教令が解かれ、フランシスコザビエルの聖堂として建てられたのが、神田教会の始まりです。

明治6年キリスト教の禁教令が解かれた後、キリスト教は受け入れられていきました。
キリスト教はその信者を除いては唯一絶対神として受け入れられませんでしたが、538年に仏教が伝来してた時に、神教と共存し、現在では神教が慶事、仏教が弔事とすみ分けられたように、
キリスト教も、キリストの降誕祭をクリスマスとして広く一般に祝われるようになりました。

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