編集室だより

博報堂旧本社ビル

2016年 9月 10日by  島田 敏樹
コメント:0 トラックバック:0

博報堂旧本社ビル2階のタイ料理メナムのほとりへ、カレーを食べに行きました。
博報堂旧本社ビルは、関東大震災後の復興建築として、建てられた重厚な建物でした。

神保町は、夏目漱石の弟子でロシア生まれのセルゲイ・エリセーエフのマッカーサーに爆撃回避の進言により、戦災を免れ、このような震災復興建設が所々残っています。

博報堂旧本社ビルは日本で1,2を争う広告代理店博報堂さんの本社として、ニコライ堂を再建した岡田信一郎氏が設計し昭和5年(1930年)竣工され、昭和3年(1928年)に建てられた学士会館とともに街のランドマークとして存在感を示していました。
博報堂さんが赤坂に本社を移転したことに伴い、旧本社ビルは平成21年(2009年)に再開発により取り崩されます。

博報堂旧本社ビルはテラススクエアの1部として、平成27年5月15日に、再建されました。

再建されたのは、警察通り側の表側に半分だけで、裏側は、ガラス張りのテラスになっています。テラスは森の中にあり、せせらぎが流れていました。

テラススクエアの1、2階は飲食店が入居しています。タイ料理メナムのほとりは2階にありました。
テラス側のエスカレーターで2階に上がり、店内に入り、恵比寿ビールとグリーンカレーを注文します。
恵比寿ビールは、明治23年(1990年)ドイツ人技師の下、国産ビールとして作られ販売されました。
夏目漱石の「二百十日」で、江戸っ子の豆腐屋圭さんと碌さんが阿蘇山を登るため熊本を旅行し宿で、ビールを注文すると、仲居さんに「ビールは御座いませんが、恵比寿ならございます。」と言われ、恵比寿ビールを注文し、半熟卵を肴にして飲んでいました。
夏目漱石が「二百十日」を書いた明治39年には恵比寿ビールは全国に普及していたのでしょう。
夏目漱石は英国に留学したとき、さぞ本場英国のパブでビールを飲んだことと思いきや、実はお酒に弱く 「吾輩は猫である」でも猫がビールを飲んで甕に落ちて死んだことにしていました。

「二百十日」では、漱石のモデルの碌さんは、翌日二日酔いもせず、二百十日の大雨の中、阿蘇神社まで行き、阿蘇神社から阿蘇山の頂上を目指して歩きます。しかも阿蘇山に行く途中谷に落ちた圭さんを蝙蝠傘と帯で引き揚げました。
漱石はお酒はあまり飲めないが、恵比寿は、ビール(お酒)ではないといいってのんでいたのかもしれませんね。いずれにしても漱石は大の甘党なので、お酒より、甘いものが、好きでした。
暫くしてビールとグリーンカレーを持ってきてくれました。グリーンカレーを酒の肴にビールを飲みました。
タイ料理は辛いというイメージがあり、昔タイ料理を食べに行ったとき、すごく辛く汗びっしょりかきましたが、メナムのほとりのカレーはそれほど辛くなく汗をかかずに食べられました。辛いのが苦手な人も大丈夫です。
カレーを食べ終わり、会計を済まして、外に出ました。今年の二百十日は8月31日に終わったのに、台風が来ると言われていました。

台風は熱帯高気圧に変わり、今夜は真っ暗な空に博報堂旧本社ビルがライトアップされていました。

神保町おさんぽ地図

神保町おさんぽ地図はこちら(PDF)

コメント

前後の記事@編集室だより

«
»

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://osanpo-jimbo.com/blog/staff/17376/trackback

「博報堂旧本社ビル」へのトラックバック: