本の街・読書人の会

【読書日記008】神様だって幸せになりたい-「びんぼう神様さま」

2009年 9月 6日by  sugiyuzu
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こんばんは。
本日の1冊はコチラ↓

「びんぼう神様さま」 高草洋子 地湧社

前からず~っと気になっていて、偶然本屋さんで見つけて衝動買い!
全部で50ページほどの絵本です。

名前の通り、主人公は「びんぼう神」
どうして「貧乏神」じゃないのでしょう?

この「びんぼう神」は、松吉という新婚の家へ住みつきます。
当然、みるみるうちに貧乏になっていくのですが・・・

普通だったら、それを不幸に思うのが人の常。
でも、松吉夫妻は違いました。
何でも「そりゃぁええ!」と言って乗り越えてしまいます。

しまいには、神棚をあげてびんぼう神を祭り出します。
これにはびんぼう神もタジタジ・・・
ついには、悩みだしてしまいます。

「なんで嫌われもんのわしを、ただ神さんちゅう名前がついとるちゅうだけで
この家のもんは神棚に祭るんじゃろうか?
そもそもおるだけで不幸になることしかしてやれんわしが、
なんで神さんて呼ばれるんじゃろう?」(P8)
そして、福の神や大神様にも相談しますが、答えは出ず・・・
ますます自分がどうしてよいかわからなくなります。

クライマックスは、ぜひ本を読んで頂きたいのですが、
冒頭のなぜ「貧乏」ではなく「びんぼう」なのか?
という話に戻ります。

「貧しい」+「乏しい」で貧乏です。
この「貧乏」という言葉、物質的な豊かさだけでなく、他の意味にも使いますね。

でも、この本で伝えたいのは、

「生活は貧しくても、心が豊かなら幸せになれる」

ということだ、と私は思います。
だから一言「貧乏」にしてしまうと、冷たい印象になってしまうんですね。
ひらがなで「びんぼう」と表現したので、温かな印象を受けます。

びんぼう神は、松吉夫妻を見ていて「鬼」と自分との違いは何かを
考え始めました。

「何をすればいいんじゃ・・・。
何をすれば大神さんと同じ神さんじゃちゅうて言ってもらえるんじゃろうか・・・。
何をすれば鬼と違うびんぼう神になれるんじゃ・・・?」(P43)
何だか、びんぼう神らしくないですね。
「人のためにする」ことを、びんぼう神が考え始めるのですから。
そう、これが「神」と「鬼」の違いなのかもしれませんよ。

神が全てよいことを運んできてくれるとは限りません。
でも、それは単なる「現象」でしかなくて、そこから何を考えるかは
人間がするもの。
よくない神様でも、そこには人間の営みが含まれています。

本の中には「疫病神」と「死神」も出てきます。

病気になったとき。
その人のために何かしてあげたい、と普段以上に思う。
何かされて、とても嬉しい気持ちになる。

誰かが死んだとき。
良くしてもらったな、と感謝する。
遣り残したことがあった、と後悔する。

「人のためにする」
そういう考えを持たせるために、いろいろな神様がいらっしゃる。
なんて考えると、面白くありませんか?

人間は自分ひとりで生きているのではない。
というのを、私も年々ひしひしと感じています。
心が貧しい人にはなりたくない。
そういう思いも、強さを増すばかり。

「知足(ちそく)」
足るを知ること。
つい人間は、物質的な豊かさを求めてしまいます。
私も反省しなければ・・・
と、この本を読んで思いました。

分をわきまえて、満足すること。
不足に思う渇望感は、人間の原動力になります。
しかし、それが強すぎると・・・
「もっと、もっと」という気持ちが心を支配してしまいます。

福の神も、こう言っています。

「びんぼう神どんよ、実はわしもな、
願いを叶えれば叶えるほど人間の顔が妙にギラギラして、
人相まで悪くなるような気がして、すっきりせんのじゃ。」(P14)

「満足」は「満ち足りる」と書き、十分であるという意味です。
「足るを知る」とは、自分の満足を知ることかもしれません。

感動的な「びんぼう神様さま」のお話。
電車の中で読まないほうがいいですよ!

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